琉球王国の子孫の現在

かつて沖縄県は琉球王国という独立した王国で、1429年から1879年まで存在しました。

1879年に日本に併合される形で消滅し、現在の沖縄県へとなります。

琉球王国で王族をしていた人々などは現在、どうしているのでしょうか?

ほとんどの日本の殿様たちは華族になり、第2次世界大戦後には一般人となりましたが、琉球王国の王族たちはどうなったのかをお知らせします。

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最後の王尚泰は国の滅亡後、どうなったの?

琉球王国の最後の王は尚泰という方で、1843年(天保14年)に生まれ、1901年(明治34年)に亡くなっています。

琉球王国が滅亡してからは東京に居を移され、華族となり侯爵となりました。

この時代、他の藩主も同様で、東京に移され家族となっていましたから、尚康王も他の藩主と同じ扱いとだったことが分かります。

その後、第二次世界大戦が終わるまでの当主たちは貴族院議員となったり、海軍大尉となったりしました。

戦後は一般人となりましたが、尚明さんは東京帝国大学を卒業し、官僚になられた後に日本宅建公団理事を務めました。

奥様は料理研究家の尚道子さんで、たこさんウィンナーを考案されました。

その次男の尚承(しょうつぐる)氏も料理研究家として活動されているようです。

それ以外の琉球王朝の子孫は何をしているの?

最後の王尚泰の末裔ではありませんが、琉球王朝に関連がある末裔の方をご紹介します。

第二尚氏王統の初代尚円の子孫はシンガーソングライターの伊禮 俊一(いれいしゅんいち)氏で、沖縄県伊是名村(いぜなそん)のご出身です。

尚円は尚泰の先祖になります。

女優の比嘉愛未さんは琉球王朝の末裔だそうです。

この事実を曾祖母から聞かされたといいます。

2016年には琉球王朝下で名家だったという一族が父が残した遺言書をめぐり、次男が長男と三男と裁判で争ったというニュースがありました。

原因は戦国武将が使っていた花押と呼ばれるサインが印鑑代わりに書かれた遺言書に、財産は次男に家督相続人として継承させると書かれていたことが発端です。

次男は長男と三男に土地の所有権を移すことを求めて、提訴したのです。

最高裁まで争い、一審と二審では花押が認められましたが、最高裁で花押は認められず、高裁に差し戻されたということです。

まとめ

現在も沖縄には尚氏の子孫がいるといいます。

他にも家系図を見ると、王家に繋がっているという人もいるようです。

琉球王国で家系図を持てたのは士族と呼ばれる人々だけで、その中でも一際身分が高い家は500もありません。

先祖が一際身分が高ければ、娘が王の妃として嫁いだり、逆に王の娘を娶ることで、王と親戚関係になれる可能性は十分にあります。

琉球王国最後の王尚泰は当時の国の政策により、東京に移住し華族となり、侯爵の位を得ました。

子孫はその後も東京で暮らし、華族時代は貴族院議員や海軍大尉となりました。

戦後は一般人となりましたが、日本宅建公団の理事を務めた尚明氏、その二男の尚承氏が子孫として知られています。

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