琉球王国の領土について

かつて沖縄県は琉球王国という独立国で、1429年から1879年まで存在しました。

明と日本の影響を強く受け、独自の文化を生み出したのが特徴です。

領土に関しては、ほぼ現代の沖縄県と同じなのですが、時代によって多少変化していきますので、琉球王国の領土について解説します。

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琉球王国建国初期

琉球王国の領土は元々、沖縄本島とその周辺の島に限られていました。

沖縄本島の中に豪族たちが乱立し、互いに争っていましたが、1429年に中山の王尚巴志が沖縄本島を統一したことにより、琉球王国が建国されます。

琉球王国は沖縄で始めての統一国家となります。

1466年には日本の薩摩藩の統治下にあった奄美群島を制圧します。

この頃、奄美群島を支配していた薩摩藩は再三琉球王国に侵略の停止を求める手紙を送ったようですし、琉球王国と薩摩藩との間で戦闘が行われた可能性もあるといわれています。

奄美群島は鹿児島県と近く、琉球王国は本土のすぐ近くまで勢力を伸ばしたことになります。

1500年には先島諸島で起きたオヤケアカハチの乱を利用して、先島諸島を植民地化します。

この時点で先島諸島の全ての島が制圧されたわけではありませんでしたが、最後は全ての島を統一します。

琉球王国下での先島諸島は過酷な税の取り立てに苦しんだといいます。

貿易が赤字だった琉球王国にとって、米といった生産物が財源として重要だったため、それらを先島諸島や奄美群島から徴収するのが目的だったのではないかとされています。

1609年以後の琉球王国の領土

1609年には薩摩藩の島津氏が侵攻してきて、征服されてしまいます。

薩摩藩は奄美大島などの島を次々と制圧しながら、南下。

奄美大島は戦闘前に降伏したため、戦いは起こらず、物資の提供を行っています。

徳之島では住人たちから抵抗されますが、沖縄本島では大きな戦闘はなく、琉球王国は和睦という形で降伏を申し入れています。

これにより、琉球王国は薩摩藩の従属国として支配されることとなり、奄美群島は薩摩藩が支配することになりました。

まとめ

沖縄本島の中で中山、北山、南山の3つの勢力で争っていましたが、中山が北山と南山を制圧したことにより、1429年に統一国家が始めて出来ました。

これが琉球王国の始まりです。

琉球王国の領地は当初、沖縄本島とその周辺だけでしたが、1466年には日本が支配していた奄美群島を征服し、1500年には先島諸島を植民地化しました。

しかし、1609年に薩摩藩に侵入されたことで、琉球王国の領土だった奄美群島は薩摩藩の領土となります。

琉球王国も独立を維持した形で、薩摩藩に支配されることとなり、日本の幕藩体制に組み込まれることになります。

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