沖縄の廃藩置県による影響

日本は新政府軍が旧体制の幕府軍を打ち倒し新たに明治政府が誕生しました。

その後、いろんな政策を明治政府は出しますが、その中で廃藩置県という政策も執り行われました。

廃藩置県とは今まで何々藩と呼ばれていたものを廃止し新たに何々県とすることです。

旧体制の制度を無くし、すべて明治政府の中央集権の体制を整えるうえで大事な制度でした。

明治政府が政権を獲ったとはいえ、まだ旧幕府軍の体制が残っていたので、廃藩置県制度をとって藩主を無くし、新たに知事を政府からそこへ派遣することにより、日本の全ての政治を管理することができるようになりました。

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琉球はなぜすぐに沖縄県とならなかったか

ですがこの時点では琉球王国、今の沖縄県は廃藩置県で沖縄県とはなりませんでした。

理由は政治的な理由があります。当時、明治政府には薩摩藩の人材が多く、彼らが政治を動かしていました。薩摩藩は今の鹿児島県です。

その薩摩藩と琉球はお互いに貿易などでる利益を共有しており、この利益を保ち続けたいと薩摩藩の人たちは思いました。

もし廃藩置県で琉球も沖縄県と県扱いされたなら日本の政府軍の管轄におかれ、薩摩藩の琉球による利益が無くなってしまいます。

また琉球は当時日本のものでは無く属領という位置づけでした。しかし、日本だけではなく清のぞくりょうでもありました。清は今の中国です。

廃藩置県は1871年に行われましたが、その始めた当初は沖縄県とはされませんでした。

明治政府もほかの制度や旧体制の撲滅などに奮闘していたため、琉球問題にすぐ手を伸ばすことはできませんでした。

沖縄県の誕生

ですが1872年に日本は琉球藩という名目で藩主を沖縄に送り込みます。狙いは日本の政府軍の管轄だと琉球の人々や諸外国に知らせたかったからです。

当時琉球は清とも属国だったので、すぐに県はおきませんでした。これをきっかけに琉球では意見が分かれます。

日本につくか、清につくか、このまま独立を維持するかです。

このようにしてにほんもすぐには琉球を支配下には置きませんでしたが、1879年に琉球は沖縄県と改名され実質日本の領土となりました。

このような手順を行ったのは日本が清に対策をとるためと、琉球国内の反乱を防ぐためでした。

琉球が日本の領土になれば、清は琉球からの利益を得ることができなくなり、逆に日本はより多くの利益を得ることができるようになりました。

また琉球の人たちにも日本の領土になれば彼らの利益と地位を保証すると約束しました。これには少し日本も嘘もついていますが、このような経緯により沖縄県と改名されました。

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