首里―那覇間の電車開通について

沖縄は1979年に日本の領土となり日本の支配を受けることになりましたが、沖縄がいつ電車開通になったかご紹介したいと思います。

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日本の電車の開通について

まず日本人が鉄道を知ったのは1840年ごろです。

江戸幕府の時代から鉄道の存在を日本人は知っていました。

そして1853年には長崎で蒸気機関車の模型を見ることができて、多くの日本人が蒸気機関車を知るきっかけとなりました。

その後、薩摩藩や、長州藩、幕府も鉄道の建設に力を入れるようになっていきます。

1870年の明治に変わってからは、本格的に測量なども始められ、井上勝が中心となって外国人技師の力も借りて、鉄道作りが本格的に始まっていきました。

鉄道作りは未知の部分もあり、また新制度を樹立していきたかった人も多かったため反対の声も多かったのですが、作業は進んでいきました。

そして、1872年には東京―横浜間の鉄道が開業されました。

その後も鉄道はいろんなところに開業されていき、電車の開通面でも日本は大きく前進していきました。

沖縄の電車開通について

日本の本土では電車の開通がなされた時、沖縄はまだ日本の領土となっていませんでした。

沖縄県となって日本の支配を受けるようになっても、旧制度の改革に忙しく電車開通は後回しになっていきます。

しかし1894年には多くの県外出身の資本家が運輸業の起業をしたいために、出願してきました。

その時は資金力がなく、計画は実行されなかったのですが、その後民間による鉄道計画が何度も計画されていきます。

そして1910年には沖縄電気軌道が特許を受けて鉄道計画を始めていきます。

1914年には運輸営業を行う鉄道として初めて沖縄の路面電車に那覇―首里間が開通されました。

その後も沖縄は次々に鉄道を開業していき大正末期には鉄道も最盛期を迎えるほどでした。

日本が電車を開通させたのが1872年で沖縄は1914年で開通されたことから、40年近く遅れて開通されたということになります。

なぜこれほど遅れたのかは沖縄の制度がなかなか日本本土と同じ新制度が取り入れられなかったのも原因です。

しかし大正時代になると沖縄の制度も日本本土と同じようになっていきました。

まとめ

日本の電車開通は1872年が始まりで、沖縄は1914年に開通されました。

沖縄の制度の取り入れの遅れが、電車開通の遅れにもつながったと思いますが、大正時代には鉄道の最盛期を迎えました。

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