郡島政府について

群島と聞いて、どんなものかピンとこない人もいるのではないかと思います。

群島は沖縄県のある島々のことを言っていたのだが、今回はそのことについて、紹介と思います。

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群島と呼ばれる島と、その制度は

群島と呼ばれだしたのは、1950年以降で、第二次世界大戦の終結以降です。

日本はこの戦争で大きなダメージを受け、戦場となった沖縄も例外ではありません。

そんな中、沖縄はアメリカのもとに置かれており、アメリカの支配を受けていたのだが、群島政府組織に基づく地方公共団体が置かれるようになりました。

置かれた島は奄美群島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島の4つの島を群島とされました。

この4つの島には知事公選制や住民の直接請求権などの日本本土の地方自治法に準拠した制度を持つことができるようになり、ある一手の権利を保障されたということが言えます。

群島に置かれた統治機構で群島議会を置き、また執行機関として群島知事が置かれるようになりました。

この知事は住民による直接投票で選ばれており、住民が望んだ人物が知事になるという近代的な方法を戦後すぐに扱うことができ、またアメリカ政府の許容範囲内ですが、公共事務や、行政事務を執り行うことができました。

しかしアメリカは群島の政府の決定を指揮監督して、無条件で破棄できる権利を持っていたので、沖縄の群島の政治の決定がアメリカの一言で破棄され、行政がうまくいかないこと事態になります。

琉球政府の誕生

群島が置かれていた沖縄ですが、1952年に琉球政府というものをアメリカ側が作りました。

なぜこの琉球政府の発足に至ったかには理由があります。

1952年まで群島の知事たちがアメリカ政府の意向に反する言動を行ったため、群島政府を廃止し、新しい政府をアメリカは発足し、彼らの言動を抑えるようにしました。

大きな反対は彼らの日本復帰運動でした。

アメリカはその運動を抑えるためアメリカが選んだ人選で琉球政府は構成しアメリカの意向が反映される政治にしようとします。

しかし沖縄の人たちの日本復帰運動は勢いを増していきました。

この運動が盛んに行われていった結果、1972年に沖縄が返還されるようになったといえます。

本土復帰と共にこの琉球政府も廃止となりました。

まとめ

沖縄の領土である4つの島で群島政治が行われていましたが、このころの日本復帰運動が沖縄返還を早めたともいえます。

群島政治がなければ日本復帰はもっと後になっていたかもしれません。

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