琉球王国で活躍した女性2人!

かつて沖縄県は琉球王国という独立した国で、1429年から1789年まで存在しました。

日本や明の影響を受けながらも独自の文化が築かれました。

その琉球王国で生まれたのが琉歌と呼ばれる、本土でいうところの和歌のようなものです。

その琉歌の名手とされるのが吉屋チルと恩納ナベという女性です。

この2人の女性がどのような活躍をしたのかをご紹介します。

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吉屋チルとは?

吉屋チルは遊女です。

1650年頃に豪農の娘として生まれましたが、8歳の頃に那覇市の遊郭に売られたといいます。

遊郭に売られた経緯は元々貧しかったからや父親が遊郭で身を持ち崩したからとされています。

16歳から17歳の年頃を迎えると、美しさと琉歌の才能により士族たちの間で評判となり、中里里之子(なかざとさとのぬし)という男性と恋人になります。

しかし、恋人と引き裂かれてしまいます。

理由はチルの元に大金持ちの黒雲殿という男性との身請け話が持ち上がったともこの黒雲殿がチルに強引に関係を迫ったともいわれています。

それが元で、チルは食事を断ち、亡くなったとも海へと身を投げたとも言われ、18歳の生涯でした。

吉屋チルとは近年の呼称で、元々はよしややよしや君と呼ばれていたようです。

琉歌の作風は美意識があり、他の琉歌に比べて抒情的な深みがあるとされます。

恩納ナベとは?

18世紀に現在の恩納村に生まれとされていて、ナビーとも呼ばれる女性です。

伝承がいくつか残されていますが、実在を疑問視する声もあり、琉球王国の伝説上の人物とされることもあります。

代官の息子松金と恋仲になりますが、松金は父の転勤に伴って山向こうの村へ引っ越してしまいました。

山を押しのけて、恋人の村が私の住む村の隣に来てほしいという歌をナベは残しています。

ちなみに、松金は18歳で亡くなったので、2人が結ばれることはありませんでした。

25,6歳頃に馬番の男性と結婚。

夫に尽くし、その甲斐あり夫は士族に出世したと言われます。

以上が恩納ナベにまつわる伝承ですが、兄弟や親といった家族、結婚をしていたのかどうか詳しいことは分からないともされています。

恩納ナベの歌とされるものには恋の歌、自然の美しさを歌ったもの、役人や官僚を皮肉るものなど様々なものがあります。

恩納ナベという女性は実在していたかもしれませんし、人々が恩納ナベという架空の女性を使って、役人や官僚といった権威を皮肉ったのかもしれません。

まとめ

吉屋チルと恩納ナベは共に琉球王国の農村に生まれた女性で、どちらも恩納村の出身で、琉歌の歌人です。

琉歌とは、「八・八・八・六」で主に構成されていて、三線の伴奏に乗せて歌われる琉球王国独特の歌です。

恩納ナベは伝承上の人物ではないかという意見もあります。

彼女たちが残したとされる歌の中には士族が作ったものも含まれるのではないかとも言われています。

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