琉球王国の衰退とポルトガルの関係

かつて沖縄県は琉球王国という1429年から1879年まで存在した独立国でした。

15世紀から16世紀に中継貿易でもっとも栄えたされていますが、その後は衰退します。

その一因とされているのがポルトガルですが、どう関係しているのかを解説します。

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中継貿易の衰退

中継貿易とはA国の品をB国に転売して利益を得ることを言います。

15世紀の明は海禁政策により外国との貿易が制限され、明の商人たちは大々的に外国へ行くことが出来ませんでしたし、北方のモンゴル勢との戦いのため、馬と硫黄を必要としていました。

更に、明と日本との間の貿易も衰退します。

そのため、馬と硫黄を持つ琉球王国は明の冊封を受けた朝貢国として、明との貿易が優遇され、東アジアのみならず、東南アジアにまで航海をし、転売をしていたと言われます。

しかし、実態は明への貢物を購入するので精一杯だったらしく、不足分は日本からの借金で賄っていました。

16世紀になると、ポルトガルが東南アジアに進出します。

ポルトガルはマラッカと日本の間に直接貿易のルートを作り、明の海禁政策も緩和され、琉球王国が中継貿易を行う必要がなくなったのでした。

琉球王国は1570年に東南アジアから撤退しています。

ポルトガル人からみた琉球王国

トメ・ピレス「東方諸国記」(生田滋・加藤栄一・長岡新治郎訳)『大航海時代叢書』Vに当時のポルトガル人が琉球王国の人々をどのように思っていたかが書かれています。

当時のヨーロッパの人々は琉球王国のことを、「レケオ」「レキオ」「ゴーレス」と呼んでいたようです。

要約すると、

・琉球王国は大きな島で、人口が多い。

・船は独特の形をした小船の他に、明から購入したジャンク船を3、4隻所有している。

・琉球王国は魚が豊富ではあるが、小麦と米と独特の酒と肉を持っているだけである。

・明の人よりも身なりは良い。

・日本では日本の金と銅を商品と交換することで買い入れる。

・代金の受け取り時に、騙された場合は剣を手に持って代金を取り立てた。

このような内容になっています。

ポルトガル人からすれば、琉球王国は魅力的な商売相手ではなかったようです。

貿易が国の政策だった琉球王国では身分の高い人々が貿易に携わったので身なりが良かったのでしょうか。

一方の明の商人は海禁政策下での貿易はご法度なので、その状況下で外国にいるということは密貿易をしていた民間商人と思われるので、身なりの良さという点では劣っていたのかもしれません。

まとめ

琉球王国は15世紀から16世紀に中継貿易で栄えたとされています。

しかし、ポルトガルが東南アジアに進出してきたり、明の海禁政策の緩和により、各国が直接貿易を行うようになると、琉球王国が中継貿易を行う必要はなくなります。

夏子陽という明の冊封使が書いた使琉球録によると、琉球王国は日本から胡椒、蘇木を購入している。

日本はシャム(現在のタイ)から購入していると書かれています。

つまり、琉球王国は日本の中継貿易国となっていたのです。

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