遺体や遺骨を葬ってある「墓」は、石器時代などの太古の昔から、時代や宗教などの違いから様式が異なりながらも、今に繋がっています。
古代には盛土をした墳墓や墳丘墓などが発掘により研究されていて、生前の故人がどんな地位だったのか、どんな時代だったのかも、今に伝えています。
そんな古代の流れを汲みつつ沖縄に残されている「玉陵」は、琉球王国の歴代国王が葬られた陵墓で、世界遺産にも認定されています。
ここでは、そんな琉球王国の王族が眠る陵墓「玉陵」について、ご紹介します。
琉球王国の王族が眠る玉陵(たまうどぅん)とは?
沖縄にある玉陵は、国指定の重要文化財として、2000年に世界文化遺産「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」に登録されています。
玉陵(たまうどぅん)は、琉球王国の尚真王が、父の尚円王の遺骨を埋葬するために作り、それ以降、第二尚氏王統の王族らが眠る陵墓となっています。
墓室は東室、中室、西室の三つに分かれていて、中央に配置された中室は、洗骨までの遺骸を安置する場所として使われました。
創建された当初、東室には洗骨後の王と王妃の遺骨が安置され、王陵碑に名前が記載された王と王妃以外の王子や王女など、限られた王族が西室に葬られています。
玉陵は首里城の姿を模したといわれるほど、正面からの見た目が似ていて、破風墓と呼ばれる独特の作りが特徴となっています。
玉陵に垣間見える琉球王国の王家の権力争いとは?
玉陵の地面には、邪気を取り払う意味を込めて、珊瑚でできたサラサラの白砂が敷き詰められています。
そんな白砂が敷き詰められた場所がひらけたところに、玉陵に葬られた王家の人々の名前が刻まれた「玉陵碑(たまうどぅんひ)」があります。
この碑には、尚真王の長男と次男の名前が刻まれておらず、琉球王国の王室内での勢力争いや関係性を想像させます。
また、沖縄戦の弾痕も残っていて、琉球王国から現在まで続く沖縄の歴史が歴代の王家と共に刻まれ、独自の発展を遂げた建築文化の象徴ともなっています。
琉球王国の第二尚氏王統を葬った玉陵
「玉陵」には、沖縄本島で争っていた有力豪族らを統一し、沖縄の地方にも国王制の統治を進めた「琉球王国」の第二尚氏王統の王族らが葬られています。
玉陵からは、葬られた第二尚氏王統の王族らの関係性をうかがわせる玉陵碑や、独自の発展を遂げた琉球王国の建築技術や文化が現れています。
戦国時代を終わらせた琉球王国の内部で王位をめぐる争いがあったことを推測させ、沖縄戦の弾痕も見受けられる玉陵は、琉球王国以来の沖縄の歴史が刻まれています。