かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、1429年から1879年まで存在した独立国です。
明(清)の冊封国でありながら、1609年以降は日本の属国となりました。
そのため、明(清)と日本から影響を強く受けた独自の文化が特徴です。
琉球王国には琉球国中山王や中山王国といった単語が出てきますが、これは一体なんなのかをお伝えします。
琉球中山王が公称
現在、琉球王国は琉球王国と呼ばれ、王は単に王と呼ばれています。
しかし、本来は琉球国中山王が王の正式名称なのです。
王が即位する時、代々、琉球国中山王という冊封を明(清)から受けていました。
冊封とは明から王として認められること、王の位を与えられることをいいます。
これにより、琉球王国は朝貢を明(清)にしなければなりません。
朝貢とは明(清)に貢物を持っていくことをいいます。
明(清)は時代によっては冊封をした国以外とは貿易をしない時代があったので、多くの国が明と冊封関係を結びました。
小さな国だった琉球王国も国の安定を図るためにも冊封をしました。
中山王の始まり
琉球という呼び名は明やそれ以前の中華王朝が命名した地域名です。
当初は元の台湾のことをいいましたが、時代が進むにつれ、沖縄本島や先島群島や宮古列島といった地域もまとめて琉球と呼ぶようになりました。
それが、いつ頃か現在の台湾が台湾という名称になり、現在の沖縄県だけを琉球と呼ぶようになりました。
これが琉球の語源ですが、中山王とは琉球王国の前身である中山王国のことです。
琉球王国建国以前の沖縄本島は中山、北山、南山と争っていました。
3勢力は明の冊封を受け、それぞれ中山王、北山王、南山王となります。
その後、中山が北山と南山を滅ぼし、沖縄本島を統一しました。
これにより、明は中山王の冊封ではなく、琉球国中山王の冊封を与えます。
まとめ
現代ではただ単に、琉球王国の王といわれることも多いですが、琉球国中山王が琉球王国の王の正式名称です。
時代によって字は微妙に変わりますが、琉球というのは元々、中華王朝側の台湾と沖縄の呼び名でした。
中山とは琉球王国の前身である中山王国のことです。
沖縄本島内では中山、北山、南山の3つの勢力が争っていましたが、中山に統一されます。
沖縄本島で初めての統一王朝の誕生です。
それを受けた明は中山王に琉球国中山王の冊封を与えます。
1429年とは明から中山王が琉球国中山王の冊封を受けた年であり、それを根拠にして、この年を琉球王国建国としています。