琉球王国は11世紀まで先史時代と呼ばれる日本の縄文時代のような生活をしていました。
その後、日本の九州からの移民により稲作が始まり、グスク時代から三山時代になります。
三山時代とは沖縄本島が北山、中山、南山という3つの勢力に分かれ、争った内乱の時代をいいます。
中山が北山と南山を制圧することで、沖縄本島は統一され、1429年に琉球王国が建国されます。
その初代王を尚巴志といいます。
解釈によっては父の尚思紹王が琉球王国の初代国王とされますが、この記事では沖縄本島を統一し、明から琉球という国号を授かった尚巴志を初代国王として、どのような人物だったのかをお伝えします。
尚巴志が王になった経緯
尚巴志の父である尚思紹は南山勢力に所属していました。
この思紹の隠居に伴い、尚巴志が21歳で家督を継ぎます。
尚巴志は中山王であった武寧を倒し、父を新たな中山王にしましたが、実権は尚巴志が握っていたようです。
父の尚思紹を武寧の息子と称し、明に報告することで、中山と明が結んでいた外交関係をそのまま引き継ぎました。
1416年には北山を制圧し、1421年に父の尚思紹が崩御したことにより、中山王に即位。
1429年に南山も制圧し、沖縄本島を統一。
これにより、第一尚氏王統と呼ばれる琉球王国の統一王朝が樹立するに至ります。
この時、明から琉球という国号と尚という姓を賜り、以後、国の名前は琉球王国となり、国王一族は尚の姓を名乗ることとなります。
尚巴志王の統治とは?
統一王朝樹立後、様々な政策が行われました。
有名な首里城を築城した人物であり、農業開発にも熱心でした。
明の支援もあり、シャムやジャカルタといった東南アジアの国、明、日本、朝鮮と交易を行いました。
18年間の統治の末に崩御しますが、その後の国王は短命が続き、最後はクーデターにより尚巴志王の一族による統治は終わりを迎え、第二尚氏王統が始まります。
この第二尚氏王統は琉球王国が滅びるまで続くことになります。
まとめ
琉球王国の初代国王である尚巴志は豪族の出身でしたが、中山王を下し、父を中山王にすることで三山時代の覇権争いに参戦。
北山と南山を制圧し、沖縄本島を統一し、統一王朝を樹立しました。
かなり高い能力を持っていることは確かで、性格も情に厚い一面があったと言われています。
様々な逸話もありますが、いくらかの美談が混じってることも考えられ、どこまでが本当かは分かりません。
せっかく、築いた王朝ではありますが、最後はクーデターにより滅ぼされてしまいます。
王朝交代という大事件のため、根絶やしに近い状態にまで追いやられますが、子孫と名乗る一族が現在も存在しているようです。