琉球新報とは沖縄県を中心に発行されている日刊新聞で、株式会社琉球新報社が発行しています。
この新聞会社は沖縄県で最も古い新聞会社であり、この初代社長は尚順という人です。
今回はこの琉球新報についてご紹介します。
琉球新報の歴史
1893年に沖縄県初の新聞として琉球新報が発行されました。
創刊目的に明言するように沖縄は日本と同化することを目指していたようです。
理由としては当時沖縄はとても経済的に苦しい時期でした。
沖縄はその経済難から、謝花昇が自由民権運動を率いるなど動乱の時期でもありました。
そんな中この琉球新報は第4代沖縄知事の奈良原繁と共に、自由民権運動を率いていた謝上昇を弾圧して、政治運動を鎮静しようとしました。
この弾圧は成功し1906年には日刊紙となり、1914年には5000号を数えるまで、新聞を発行しました。
1940年には政府の指導により琉球新報、沖縄日報、沖縄朝日新聞は統合し沖縄新報を発行するようになりました。
ここまで沖縄の新聞社として生存できたことには、新聞社が県の当局と協力的であったことや、経営者が資産家でお金による心配があまりなかったことなどが理由としてあげられます。
沖縄琉球の新聞を発行し続けた琉球新報ですが、ある事件が転機となります。
琉球新報の廃刊と復元
1945年沖縄では激しい戦争の真っただ中でした。
そんな中でも、首里城地下の32軍司令部壕の近くの新聞社壕で新聞の発行は続けられていました。
過去の発行は沖縄朝日新聞の記者らが中心となって発行していましたが、沖縄戦争の激しさが増すにつれて、新聞の発行も困難になり、全国で唯一戦争によって廃刊された新聞となりました。
その後日本がポツダム宣言を受け入れたことで、戦争は終結しますが、アメリカが戦前の新聞関係者による新聞発行を嫌ったため、しばらく新聞発行は素人によって発行されるようになりました。
ですが1949年に琉球新報の復元を目指して株式会社琉球新報社を設立します。
そして彼らの努力のかいもあり1951年サンフランシスコ平和条約を機に琉球新報は復元しました。
その後から今まで琉球新報は沖縄で新聞を発行しています。
琉球新報まとめ
琉球新報は歴史が長く昔からずっと沖縄の情報を、新聞を通して発信していました。
今でも琉球新報は沖縄のローカル情報を発信しています。
しかし彼らの発行はいつも順調ではなく大変な時期を通して今があることを覚えておくべきです。