琉球王国の時代から始まったエイサーの起源

かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、1429年から1879年まで存在した独立国です。

明(清)の冊封国であり、1609年からは日本の属国にもなりました。

そのため、明(清)と日本の影響を強く受けた独自の文化が特徴です。

琉球王国時代に始まったものの1つにエイサーがあります。

どういうものなのかをご紹介します。

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エイサーとは?

エイサーとは日本本土でいうところの盆踊りの1種とされます。

旧盆の最終日に行われる先祖供養の踊りです。

この踊りによって、人間の世界にやってきた先祖を再び、あの世に送るのだといいます。

男女が集落内を巡りながら踊り、家内安全や無病息災などを祈りながら、先祖の霊を供養します。

太鼓や三線といった楽器を鳴らしたり歌ったりしながら、賑やかに進んでいきます。

集落によっては道化役というものがいて、沿道を盛り上げるそうです。

先祖はあの世へなかなか帰りたがらないので、大きな太鼓の音を驚かせて、お帰りいただくといいます。

エイサーの起源とは?

エイサーの起源はよく分かりません。

1400年代には今の那覇市で行われていたという文献もあります。

今回は日本の僧侶が起源となった説をお伝えします。

1606年に一人の浄土真宗の僧が明を目指す旅の途中に琉球王国に立ち寄りました。

僧侶の名前は袋中上人(たいちゅうしょうにん)で、東北の出身です。

その僧侶は3年間、琉球王国に滞在し、浄土真宗を伝えました。

その間、尚寧王は仏教に帰依し、桂林寺を建立。

袋中上人は浄土真宗の信仰を広めるために伝えた念仏踊りや『継母(子)念仏』などがエイサーの起源となりました。

まとめ

琉球王国で始まったエイサーの起源の1つは浄土真宗の念仏踊りとされています。

本土の盆踊りや阿波踊りも念仏踊りが起源となっており、先祖供養の目的も変わりません。

エイサーは旧盆の最終日に、集落内の男女が集まり、先祖をあの世に再び送るため、家内安全、無病息災などを祈りながら踊ったりする行事です。

踊り以外にも、歌や太鼓や三線などが使われます。

1606年に琉球王国を訪れ、浄土真宗を伝えた袋中上人という東北出身の僧侶が伝えた念仏踊りや歌が元となって誕生したとされます。

そのため、浄土真宗を伝えた袋中上人はエイサーの始祖と言われています。

しかし、1400年代の文献にはすでに那覇で行われていたという記述があるものもあり、詳しい起源は不明です。

現在もエイサーは沖縄県で行われていて、パフォーマンス性も高くなり、お祭りも開催されています。

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