1972年に沖縄は日本に復帰することができるようになりました。
復帰の経緯と沖縄返還について紹介していきたいと思います。
沖縄が日本に復帰するまでの道のり
沖縄は第二次世界大戦後、アメリカの支配を受けるようになります。
しかし、アメリカの支配は沖縄住民の思う通りの政治を行うことは出来ませんでした。
その理由として、1つは琉球政府を設置されて、最終的な決定権はアメリカの意向によって決まることです。
自由な政治を行うことは難しかったと思います。
2つ目はアメリカ人による沖縄での犯罪の待遇が不平等であったことです。
アメリカによる犯罪はベトナム戦争後さらに増えていく中、沖縄住民は保護を受けることがあまりできなかったことから、日本復帰運動の勢いは増していったと思われます。
アメリカの不平等が表面上に上がったのは,コザ暴動が起きたことによって現れました。
沖縄住民の不満が爆発したために起こった暴動です。
コザ暴動から、沖縄をアメリカが支配していくのは難しいと、知らしめるきっかけになりました。
沖縄返還へ
1969年に行われた日米首脳会談で、ベトナム戦争終結を考えて沖縄を日本に復帰させることを約束しました。
しかし、それには安保延長も組み込まれていました。
そのため、沖縄返還が行われて日本への復帰が決まった際にアメリカ軍の基地は残ったままになりました。
そして沖縄返還時に、当時首相の佐藤栄作は非核三原則の拡大やある核兵器の国内の持ち込みを秘密協定で約定するなど、冷戦下でアメリカの要求を尊重することを約束しました。
また沖縄返還に関する特別支出金もアメリカに払い多額の費用を出費しました。
このような経緯で1972年沖縄は,日本復帰を果たすことができるようになりました。
日本へ復帰後の沖縄は、他の日本の都道府県同様,県庁や県警,自衛隊なども置かれるようになっていきます。
それに加えて、沖縄で今まで行われていた琉球政府や他のアメリカ支配時に行われていた制度は廃止されていくことになりました。
沖縄住民は日本復帰を果たした後、日本のあらゆる制度を受けることができるようになりアメリカの時の不平等さは無くなっていきました。
まとめ
アメリカの支配に耐えられない沖縄住民の本土復帰運動は強くなり、コザ暴動により沖縄が管理できないことを知らしめる結果となった。
1972年にアメリカから日本にある程度の要求はされたが日本への復帰がかないました。