沖縄は1972年に日本への復帰を果たしますが、その時に沖縄特別国体が開催されました。
沖縄特別国体が開催された意味と内容について紹介します。
沖縄特別国体の内容
沖縄特別国体は沖縄の発展と日本へ復帰した記念として開かれた大会であり、通常の国体と違い全国の予選は行わない大会です。
書く都道府県ごとに種目と人数を割り当てたミニ大会という感じでもあります。
沖縄の那覇市を含めた9市1町で開かれました。
テーマは強く明るく新しくというもので、沖縄の本土復帰を歓迎しているスローガンとなっています。
日本では戦後、常に行われてきた全国大会ですが、沖縄は長くアメリカの支配下にあったことから、初めての経験となります。
沖縄特別国体では21個の協議が出され、バレーボールや野球など、当時人気が高かったスポーツも退会内容に組み込まれていました。
参加人数も3342人と多くの人が参加しました。
特にバレーボールは男女別と教員たちによる参加もあったので、特別な大会内容といえます。
沖縄特別国体が開かれた年に起きた出来事
沖縄特別国体が開かれた年は様々な問題も起こりました。
まずは石油危機によりインフレに拍車がかかり、一時的に物価も上がるなど経済が混乱した時期でもあります。
また琉海ビル地下工事現場が陥没事故を起こして、周辺のアパートや民家、建造物としても被害を受けて、さらに人も100人を超える人数が被害を受けました。
また沖縄は日本復帰を果たした後も、アメリカ軍の基地が残っていたためアメリカ人による犯罪も起こりました。
沖縄の老女がアメリカ軍の公演中にアメリカ軍の車両にひかれて死亡しました。
また、自衛官の住民登録拒否事件も起きて、沖縄住民の自衛隊反対運動も続いた。
そしてアメリカ人による麻薬の殺人事件が起こり、アメリカ人によって沖縄の治安が乱されてもいました。
沖縄特別国体が開かれた年には多くの問題も起きましたが、この大会は沖縄の人たちに明るさと希望を与える大会になったと思うので、良い大会になったといえます。
まとめ
沖縄特別国体は小規模の全国大会でしたが、沖縄でされた初めての全国大会でもあったので、多くの人に希望と明るさ、元気を与える大会になりました。
しかし、同年には沖縄を含めた日本で多くの事件も発生し、アメリカ人による犯罪も起きていることから、多くの問題を解決しなければならないことも分かります。
沖縄は本土復帰を果たしたとはいえ、数々の問題が残っていることも分かります。