佐藤栄作が日本の首相のころ沖縄を訪問したことがあります。
沖縄の訪問をした理由についてご紹介していきたいと思います。
佐藤栄作について
佐藤栄作は1948年に民主自由党に入党します。
遠縁にあたる吉田茂とも早くから親交を持っていました。
池田内閣の時に要職を務めますが、池田の高度成長路線に批判的な立場をとり社会開発、安定成長、人間尊重といったスローガンを自分で作り政権構想を練り上げていきました。
大蔵大臣を務めたときは共産主義にアメリカの財政援助を受けながら対抗していきました。
そして1964年には自民党総裁選挙の際に出馬して総理大臣を目指すようになります。
しかし、池田が党人派の支持を固めて過半数を超え、辛勝しました。
しかし後に池田がびょうきに伴い退陣すると、自民党後継総裁に指名され佐藤栄作が総理大臣に就任が決まった。
それ以後佐藤栄作が総理大臣として日本を治めていくようになります。
沖縄訪問
就任した翌年の1965年に佐藤栄作首相は沖縄に訪問した。
那覇空港で佐藤栄作首相は沖縄の返還に執念を燃やすことを宣言しました。
沖縄訪問の際には沖縄の人は日本語を話すのか英語を話すのか側近に尋ねて呆れられた逸話も残っています。
沖縄がアメリカに統治されて10年以上が過ぎていたのでそのように考えたのかもしれません。
しかし、那覇空港から沖縄を訪問したことで佐藤栄作首相は沖縄について猛勉強したらしいので、沖縄返還を本気で行おうという意思が強かったことが感じられます。
しかし、沖縄返還に熱意を燃やす一方で、数々のスキャンダルにも見舞われ政権維持に苦労した経緯があります。
しかし、1970年の自民党総裁4選では佐藤栄作首相は沖縄返還を大義名分に自民党4選を勝つなど長期政権を維持してこられました。
そして苦難の末に1972年には沖縄の返還を見事果たしました。
その沖縄返還をやり遂げた際に自身の7年以上にわたる長期政権も終止符を打ちました。
沖縄返還に熱意を燃やしてから、見事沖縄返還を在任中にやり遂げたので、彼の沖縄返還の気持ちは本当だったのではないかと思います。
まとめ
佐藤栄作は1964年に総理大臣に就任する。
沖縄訪問をして以来、佐藤栄作は沖縄返還に意思を固めていきます。
彼の政権は苦難も多かったですが、1972年に沖縄返還をやり遂げて後に政権も終わりました。
彼のおかげで沖縄は今日本の領土となっているとも言えます。