琉球王国が、もし存続していたら?

明治時代に入って行われた廃藩置県によって設置された沖縄県は、かつては第一尚氏王統と第二尚氏王統と継承された国王によって支配統治された琉球王国でした。

沖縄本島にあった三山を統一した尚巴志によって建国された琉球王国は、その地理的な位置と取り巻く時代環境の中で、繁栄と衰退、そして滅亡へと向かっています。

沖縄には、琉球王国を感じさせる文化的な遺産や遺物が残され、日本本土とは違った独自の文化も根付いた土地といえます。

琉球王国が、もし明治維新を迎えても沖縄県とならずに存続していたら、どうなっていたかを推察してみます。

スポンサーリンク
ryukyu-historyレクタングル大

琉球王国が滅亡する前後の状況は?

1429年に尚巴志によって建国された琉球王国は、中国の明王朝と君臣関係を結んで朝貢貿易を行なって莫大な利益を得ます。

周囲を海に囲まれた琉球諸島は、中国や朝鮮、日本列島、そして東南アジアの中間地点に位置している地理的条件を利用した中継貿易も活用して勢力範囲を広め、繁栄しています。

しかしながら、中国の貿易が西欧列強との取引に変化し始めたことで、朝貢貿易の取引量が次第に減り、それまでの経済的利益も減少します。

中国の明王朝、清国と時代が流れる中で、琉球王国は独立国家でありながら冊封国として認識され、日本からは薩摩藩が侵攻して日中両属状態となっています。

その後、日本では江戸幕府が大政奉還から明治政府の誕生し、廃藩置県が行われて琉球王国は、沖縄県として設置されています。

清国と日本による日中両属状態の琉球王国が存続していたら?

琉球王国の繁栄を支えた朝貢貿易と中継貿易による経済力は、中国の清国、朝鮮王朝、日本、東南アジアとの関わりが前提条件となります。

そのため、琉球を日本が吸収せずに、そのまま存続していたら、琉球王国を清国の冊封国と認識している欧米国は清への合併を承認していたと考えられます。

日中両属状態となっていた琉球王国を、日本と中国のいずれも吸収せずに存続していたら、1854年に結ばれた米国との不平等条約の締結からも、西欧列強の国々から同様の不平等条約の締結を強要されると考えられます。

沖縄県とならずに存続していたら、どこかの列強国の保護国とされ吸収、合併されることが推測でき、いずれにせよ消滅するのは時間の問題だったと考えられます。

日本ではない西欧列強のいずれかの国が支配下にされていれば、明治以降の世界の勢力図は大きく変わっていたかもしれません。

明治時代以降も琉球王国が存続していたら?

現在の沖縄県が明治時代に設置されず、琉球王国として存続していたら、それまでの王国の経済的基盤を支えた朝貢貿易や中継貿易が継続されず、経済力や軍事力の低下はまぬがれなかったと考えられます。

日本と中国の両方が支配に影響を与えた琉球王国が、その影響下を外れて存続していたら、欧米列強からの不平等条約の締結や侵攻の可能性が考えられ、消滅することが推測できます。

琉球王国が日本の沖縄県とならず、琉球王国として存続していたら、歴史の流れの中で結果的にはどこかの属国あるいは、吸収されていたと推測されます。

スポンサーリンク
ryukyu-historyレクタングル大

ryukyu-historyレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする