知事選挙で仲井眞弘多が破れ翁長雄志が知事に当選

沖縄の知事である仲井眞弘多は普天間飛行場の移設のため、辺野古を埋め立て、基地移設をしようとしたことにより、公約違反とされ辞任決議がとられるほどでした。

その後、翁長雄志が知事に当選するのですが、そのことについてご紹介していきたいと思います。

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翁長雄志について

翁長雄志は1985年に那覇市議会議員として初当選し、政治の世界に入っていきます。

1992年にも沖縄県議会議員に当選し、着実に政治の階段を上っていきます。

その後も那覇市長に就任するなどして、基盤を固めていきます。

翁長雄志は那覇市長時代に那覇軍港を浦添に移転するなどして、軍事関係のものに携わったこともあります。

また、福州市から名誉市民賞を授かるなどの実績もありました。

そんな中2014年に数々の政党から沖縄の住民のため、知事になって力を発揮してほしいという要請文もあり、沖縄県知事選挙への出馬を決めました。

沖縄県知事選の概要

2014年までの沖縄県知事は仲井眞弘多でした。

仲井眞弘多は2006年から沖縄県知事として働いている実績の持ち主でした。

しかし、当時まで沖縄県知事であった仲井眞弘多は、前年で普天間基地飛行場の問題で辺野古を移設のために埋め立てたことで、公約違反として大きく反発にあいました。

この反発のため、仲井眞弘多が県知事選挙を戦うにあたり、不利な状況となったと思います。

翁長雄志はアメリカ兵の基地を沖縄に設置することに強く反対しており、普天間飛行場を辺野古に移設することも反対している姿勢を示していました。

また公明党の代表者とも意見があったことで良い支持が得られたとも思います。

沖縄の基地移設に関して意見を持っており、なおかついろんな政党からの支持も受けたことで、当時沖縄県知事であった仲井眞弘多と知事選を戦った時、見事翁長雄志が当選し沖縄県知事となりました。

沖縄県知事となった翁長雄志は、その後アジアとの関係を良くすることも公約に入れていたため、中国との交流も盛んに行っていきます。

日本国際貿易促進協会の訪中団には毎回参加していることから中国との関係を重視いていることも分かります。

そして基地移設に関しては問題が残ったままです。

まとめ

翁長雄志は那覇市議会議員として政治で実積を上げていき、いろんな党の指示を受けたことで知事選への出馬を決めました。

当時の仲井眞弘多と知事選を行いましたが、見事当選し2014年に沖縄県知事となり、沖縄の問題に対処しつつ、知事として働いています。

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