現在の沖縄県は在日米軍基地の存在で、米軍航空機の騒音問題や辺野古移転問題など、しばしばニュースにも取り上げられています。
日本の都道府県の一つである沖縄県は、明治維新を受けて日本の統治下となり、それ以前は尚巴志王によって建国された琉球王国として歴史を刻んでいます。
沖縄本島を中心とした小さな島々で成り立っていた琉球王国は、中国と朝鮮半島と日本との地理的な状況の影響を受けた外交や貿易の対応を求められ、日本の統治下となり沖縄県となっても、日本本土との関わりでも、独自性が際立っています。
沖縄本島を中心として琉球王国が建国された経緯や、沖縄県となった経緯などを紹介します。
目次
琉球王国の建国は?
現在の沖縄県の前身となる琉球王国は、1429年に尚巴志王が沖縄本島の三山を統一して建国した王国で、明治維新によって沖縄県となるまでの約450年続いています。
琉球王国の建国前、1322年から1429年までは、沖縄本島には南部に南山、中部に中山、北部に北山という3つの国が形成されていました。
それぞれの国に、地方の豪族である按司を率いた王がいて、次第にこれらの3つの国が統一を目指して争い、中国の明王朝との貿易を盛んに行っていた中山の察度王統が当初は勢力を保持していたものの、察度王統が56年で終焉を迎えます。
その後、中山の尚巴志が、浦添から首里へ本拠地を移し、中国との貿易を盛んにして経済力と軍事力をつけ、農業の効率化をはかり庶民の信頼を得ていきます。
軍事力の強化がはかられた中山が、北山の拠点であった今帰仁城を1416年に攻め落とし、1429年に南山を制して沖縄本島の三山を統一して、琉球王国を建国しています。
琉球王国の建国から滅亡までは?
沖縄本島の中山の尚巴志が、北山と南山を制して建国した琉球王国は、1879年まで約450年にわたり、首里城を拠点として繁栄を築いています。
琉球王国は、建国した尚巴志王の第一尚氏王統とクーデターにより王位を継承した金丸が尚円王となった第二尚氏王統の時代に分けられます。
沖縄本島を中心とした島々の土地は痩せているため、明や朝鮮との朝貢貿易と南方の外国から輸入した物品の中継貿易で経済力と軍事力を強化し、領土拡大をはかります。
琉球王国に対して清国との国交断絶や明治の年号使用、藩王の上京命令を、明治維新を迎えた日本が求めますが、これを拒否したために、日本が軍事的な処置により国王を追放して琉球王国が滅亡し沖縄県とされます。
沖縄本島の三山統一により建国された琉球王国
今の沖縄県の位置を中心とした琉球諸島を支配した琉球王国は、1429年に中山の尚巴志王が南山と北山を制して統一して建国した王国です。
中国の明王朝と朝鮮王朝への朝貢貿易と中継貿易で成した経済力をもとに武力強化をはかり、勢力範囲を拡大し、約450年にわたり繁栄を続けます。
江戸幕府の薩摩藩の侵攻を受け、琉球王国は日本の属国化支配を受けながらも、独自支配も維持しますが、明治維新を受けた廃藩置県により王国の滅亡を迎えています。