沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落する

沖縄国際大学にアメリカの軍のヘリコプターが墜落するという事件が起きました。

この事件はなぜ起きて、またどのような影響を沖縄の人に与えるようになったのかを、ご紹介していきたいと思います。

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アメリカ軍のヘリコプター墜落の原因と対応

2004年にアメリカ軍の普天間基地で大型輸送ヘリコプターが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学の1号館北側に接触して墜落しました。

この墜落事故により乗員3名は負傷したようですが、1号館内にいた教員たち20名は負傷者が出ず、民間にも負傷者は出ず沖縄県民は難を被ることはありませんでした。

しかし、大学内の電話やインターネットは切断され、1号館も被害を受け、周りの木なども焼かれてしまったため、大学内ではかなりの損害を被ることになりました。

人に死者が出なかったので不幸中の幸いで良かったですが、ヘリコプターの墜落によりアメリカ軍に対して沖縄県内から非難が相次いで出てきました。

アメリカ側がこのヘリコプター墜落事故の件について処理したため、日本側は詳細な事故の点を調べることができませんでした。

しかし、放射性物質がステンレスの容器に入っていたところを見ると、放射能物質による汚染を引き起こした疑いがありました。

この事件によって沖縄住民は被害を受け、しかも日本の警察や消防署なども立ち入ることができなかったので、アメリカ軍に対する反発も強くなりました。

ヘリコプター墜落事件後

この事故から1か月後沖縄国際大学で抗議集会が開かれ3万人ほどが出席されました。

これは沖縄米兵少女暴行事件抗議以来の大規模な抗議会となりました。

この人数が出席したことにより、いかに沖縄住民がアメリカ兵に対して反発や反感を持っているかがよく分かります。

事件発生時は沖縄県警も現場に入ることができなかったため、日本の施政権・大学の自治を損害する事件として長くアメリカ側にも抗議していきました。

また、沖縄県警は公訴時効いっぱいの3年間捜査を行うなど、事件の解明に沖縄住民も全力を尽くしていました。

アメリカとの条約もあるため、事件の解明は自由に行うことは出来ませんでしたが、沖縄住民のアメリカへの反発の強さは増していく結果となりました。

まとめ

沖縄国際大学にヘリコプターが墜落し、大学側は多くの被害を被った。

しかし、アメリカ側が調査をすることになり、日本はあまり詳しく捜査できなかったため、沖縄住民のアメリカに対する反発はより大きくなりました。

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