琉球王国の庶民と王族の暮らし

沖縄本島にあった北山と中山と南山の3王国が尚巴志王によって統一され、1429年から約400年にわたり続いた琉球王国の暮らしは、経済格差が激しかったようです。

庶民たちは重い課税を課せられ、一部の有力氏族たちは外国との貿易による利益を得て、富めるものはより富を得た暮らしを送っています。

長く続いた琉球王国の繁栄を支えた中継貿易と朝貢貿易は、有力士族と下級士族、庶民の全てにその収益が配分された訳ではなく、階層の違いによって暮らしぶりは違います。

小さな島の集合体であった琉球王国の人口構成や、それぞれの階層での暮らしぶりなどを紹介します。

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琉球王国の人口構成は?

沖縄本島に存在した三山を統一した尚巴志王が初代国王となった琉球王国は、八重山や宮古島などの先島諸島、奄美諸島を侵略しながら領土を拡大しています。

沖縄本島を中心としながら領土を拡大した琉球王国ですから、時代によって総人口と人口構成に違いがありますが、総じて約17万人程度で推移しています。

約17万人の人口は、有力士族、下級士族、農民や漁民によって構成され、それぞれ425人、8075人、16万1500人と推定されています。

琉球王国では、有力士族は貿易での収益を私的に得ていたため裕福な暮らしだったようですが、下級武士と庶民は貧しい暮らしを送る人が多かったようです。

琉球王国での有力士族、下級武士、庶民の暮らしぶりは?

約400年もの長い間続いた琉球王国は、中国大陸の明王朝との朝貢貿易と中継貿易によって莫大な利益を得ていて、有力士族はこれら貿易を利用した私的な貿易によって私益を得ています。

琉球王国が朝貢貿易によって莫大な利益を得ていたのは明王朝時代に限られ、清との貿易の実態は赤字で、薩摩藩と徳川幕府からの借金で朝貢貿易を維持し、庶民に重い税を課して返済に充てています。

そのため、有力士族は貿易を私的に利用して財を成し、暮らしぶりは良かったと考えられる一方で、重税に苦しめられた庶民の暮らしは貧しく、制限も多かったようです。

15歳から50歳の庶民には、その年の収入に関わりなく一律に税金がかけられる人頭税が課され、土地の所有や婚姻、移動にも自由が認められない暮らしを強いられています。

八重山や宮古島といった先島諸島は、琉球王国が侵略して領土とした植民地として扱われ、沖縄本島の庶民よりも税の取り立てが厳しかったようです。

有力士族と一般庶民の中間層にあたる下級士族は、役人や官僚といった給料を得て暮らす人々ですが、役職が開くことが少なく、一般庶民同様に内職や農業を副業的に行わざるを得ず、暮らし向きは貧しかったようです。

琉球王国の暮らしぶりには、階層による違いがあった?

尚巴志王によって誕生した琉球王国は、約17万人の人口で推移し、有力士族、下級士族、一般庶民で構成されています。

重税に苦しめられた庶民や、役職が開く機会が少ないために内職や農業を強いられた下級士族は、貧しい暮らしを強いられる一方で、有力士族は私的な貿易により財を成すという経済格差があります。

庶民の暮らしには重税の負担に加えて、土地の所有や移動が認められず、婚姻の自由も認められず、植民地と化した先島諸島の庶民にはさらなる負担と制限が課されています。

首里城などで繁栄をみせた琉球王国のイメージがありますが、庶民の暮らしには、かなりの重税負担と経済的な貧困を抱えた実態があったようです。

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