国政参加選挙は、琉球時代に行われていた日本の衆議院議員と参議院議員を選ぶのに1970年に行われた選挙です。
その時に沖縄でコザ暴動という事件も起きました。
なぜその事件がおきてしまったのか、ご紹介していきたいと思います。
国政参加選挙は何を意味していたか
沖縄住民の国政参加特別措置法に基づいて、国政参加選挙を実施しました。
これは日本国民として沖縄住民の意思を反映させようという狙いがあったので、沖縄の復帰が迫っていることを、示していることにもなります。
沖縄は長くアメリカの支配を受けていましたが、国政参加選挙により、自分たちは日本国民となり、日本の政治を受けることができると思ったに違いありません。
国政参加選挙が始まったことで沖縄住民も期待が膨らんでいったと思いますが、同じ年にある事件もおきます。
それがコザ暴動です。
コザ暴動について
この騒動は沖縄のコザ市でアメリカ軍の車や施設に対して、焼き討ちが行われたことです。
この焼き討ちの事件の発端は、アメリカの軍人が沖縄の人をはねた交通事故ですが、この交通事故をきっかけに沖縄の人の不満が爆発したと思います。
その理由はアメリカでの圧政と、沖縄の人に対する人権侵害です。
アメリカの支配のおかげで沖縄の人もアメリカ軍基地で働くなど働き口があった一方で、犯罪や強盗,強姦が多く発生しました。
しかし、アメリカが権力を握っていたこともあり、沖縄の人に対して賠償金が払われなかったり、証拠不十分とされて無罪になったりするなど,公平な処罰や待遇が行われなかったことが不満を募らせていったと思えます。
そういう状況のため沖縄は日本の保護を受けたいと、いっそう強く願うようになっていきます。
また、1960年代にアメリカはベトナム戦争を行っていた関係もあり、沖縄での犯罪数も多くなっていきました。
犯罪が増えていく中、公平な審判をされないのでは不満は高まっていくに違いありません。
20年以上そのような不平等な扱いを受けてきた沖縄住民は、復帰運動も高まっていき、復帰が迫ったこの年に不満が爆発し、コザ暴動につながったと思われます。
コザ暴動により34人もの人が事件送致されました。
まとめ
国政参加選挙により沖縄の日本復帰が迫ってきたことを示すようになった。
国政参加選挙が行われた同年に、コザ暴動が起こりアメリカに対する沖縄住民の不満が爆発したと思える。