那覇空港-首里間に沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開通

那覇空港と首里間に沖縄都市モノレールのゆいレールが開通されました。

このゆいレールが沖縄にどんな関係があり、どんなものだったかをご紹介していきたいと思います。

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沖縄県の鉄道の歴史について

沖縄は大正時代には軽便鉄道や路面電車、馬車鉄道といった数々の鉄道路線が開業しました。

つまり、大正時代は多くの路線や電車があり交通の便が進んでいたことが分かります。

しかし、大正時代に進んでいた鉄道も昭和になると状況が変わります。

沖縄の多くの鉄道会社が競争に敗れて廃止されていき、太平洋戦争が始まったことにより、ほとんどの鉄道会社が運用を中止していきました。

その後戦争中に鉄道や鉄道に関する施設も壊されていき、戦争が終結しアメリカの支配に変わった後も鉄道路の復旧はされなかったため、消滅したままになりました。

しかし、1970年以降経済の発達が進んだこともあり、だんだんと車だけではなく他の交通手段を求める声も大きくなっていきました。

そして、1972年に本土復帰を果たすと、鉄道に関する施設や開発が活性化していくことになります。

そして鉄道の開発が進んでいき、モノレールの開発も進んでいくことになります。

鉄道の面で多くの遅れをとっていた沖縄でしたが、本土に復帰してから鉄道の普及は加速していきました。

そして2003年には沖縄県那覇空港駅と首里駅を結ぶモノレールが開通しゆいレールという愛称もつくことになりました。

ゆいレールの運用は

2003年那覇空港から首里駅までが開業されると、乗車カードゆいカードが導入された。

その後もゆいレールは運用されていきますが、2009年には不発弾処理のため全線運休となりました。

しかし、そこまで処理に苦戦しなかったのか、正午過ぎには運用が再開され、ゆいレールの出発にも問題はありませんでした。

2014年には一日平均4万人越えの乗客数を記録し、年間で1490万人以上が乗客する最高記録を出しました。

このように、ゆいレールは沖縄の人たちにとって大切に、また必要とされているものだと分かります。

2019年には首里駅からてだこ浦西間が開業予定とされています。

まとめ

沖縄はアメリカの支配後、鉄道の普及はされなかったが、本土復帰後は鉄道の普及も盛んに行われ、2003年にゆいレールが開業されました。

2003年以後、ゆいレールは沖縄の人たちの大切な交通機関として今も使われています。

2019年にも新たな場所への開通予定があります。

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