琉球王国では馬は特産だった?琉球馬とは?

日本の室町時代に沖縄本島を中心とした琉球諸島で誕生した琉球王国では、馬は貿易と王朝士族の楽しみ、日常の交通手段などに利用されています。

琉球王国での馬は、農耕用や機械工具を使用する際の動力源、役人や神事などで移動手段として使われ、第二次世界が起きる前の沖縄では重要な輸送や移動の手段でした。

読谷村と嘉手納町の境にある牧原丘陵の台地に設けられた王府直営の牧場があり、一度に千頭を輸出できる程度を飼育していたと考えられます。

国内産業に突出した製品や農作物をもたない琉球王国が、長期に継続するための経済力を確保するための朝貢貿易の朝貢品として利用された馬との関わりを紹介します。

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琉球王国の王朝士族と馬とのかかわりは?

沖縄各地に確認されている200箇所程度の馬場跡のうち、琉球王国の王朝直轄の場所が2箇所あり、村や集落管轄の場所が3箇所あり、琉球馬と王朝との関わりが推測できます。

琉球王国での王朝士族が琉球競馬を楽しんでいたことは、三浦按針が書いた「琉球諸島航海日誌」に闘鶏と競馬が開催されている内容の記載があります。

琉球競馬は、現代の着順を争い予想する競技内容とは異なり、速さだけでなく、その馬の脚の運びや馬の姿勢などの美しさを一頭対一頭の対戦形式で行われます。

オリンピック競技の馬術競技に近いものがあり、現代のサラブレッドのような馬を必要とすることなく、土地が狭い沖縄の島々で馬を育てやすくし、その馬の評価を姿の美しさに特化して競技にしています。

沖縄のおかれた状況と環境に対応した琉球競馬は、沖縄本島だけでなく、宮古や八重山などの島々でも行われています。

琉球王国が、中国大陸の明王朝への朝貢品とした琉球馬

琉球王国での馬は、前述のような琉球競馬での利用だけでなく、日常の移動や神事などにも利用され、沖縄の牧原丘陵の大地には数千頭の馬が飼育されています。

沖縄の広大な牧場で数千頭の馬たちが飼育されていたのには、琉球王国から明王朝への朝貢品として輸出するためです。

沖縄本島を中心とした多くの島々で構成された琉球王国には、突出した製品や農作物がありませんでしたが、明王朝が欲した馬と硫黄を輸出することが可能だったため、朝貢貿易が成立し莫大な利益を得ています。

明王朝は、海上の倭寇の排除と王朝の権威を誇示し、モンゴルに対する備えに必要な馬と鉄砲の火薬となる硫黄の調達先を琉球王国とし、他の諸国の朝貢回数よりも優遇した対応を与えています。

これにより、琉球馬は琉球王国にとっての大切な資金源となり、広大な牧場での飼育に加えて他の場所からも馬を調達して朝貢品としています。

琉球王国にとっての馬とは?

琉球王国にとっての馬は、日常の移動手段から輸送手段、農耕具などの動力源など、生活に密接した利用から、王朝の士族たちが楽しんでいた琉球競馬といった趣味まで、幅広い利用とみじかな存在となっています。

また、琉球馬は、硫黄と並んで中国大陸の明王朝への朝貢品として、かなりの頭数が貢物として輸出され、琉球王国に莫大な利益をもたらしています。

土地の面積が狭い沖縄の島々を有効に活用し、当時の大国が求めた馬を大量に飼育したことが、琉球王国の繁栄を支えたといえます。

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