琉球王国が栄えた理由は?

日本が明治維新を迎え、廃藩置県が行われて設置された沖縄県は、それ以前は沖縄本島にあった中山の尚巴志王が建国した琉球王国でした。

尚巴志王が建国した琉球王国は当初、沖縄本島にあった北山、中山、南山の三山を統一した領土でしたが、その後、先島諸島や奄美大島に侵略して領土を拡大しています。

琉球王国の人口は約17万人程度で推移しながら、経済力と軍事力を強化して、領土拡大をはかり、繁栄を継続しています。

西に中国王朝、北には朝鮮王朝と日本といった位置にあり、小さな島々で構成された琉球王国が栄えた理由について紹介します。

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琉球王国が栄えた理由には、君臣関係と貿易?

沖縄本島を中心とした小さな島々から構成された琉球王国が栄えた理由は、中国の明王朝との朝貢貿易にあります。

朝貢とは、皇帝に対して下のものが貢物を献上することを意味し、中国の明王朝に対して琉球王国が君臣関係を申し出たことで明の冊封国となっていました。

明への朝貢は、通常2年に一度、あるいは10年に一度と決められていて、貢物を持参した際に明の皇帝からの返礼品を受け取ることに加え、明の商人との貿易が行えて利益を得ることが可能となります。

中国大陸での明王朝の北にはモンゴルがあり、明の武装に必要な馬と硫黄を潤沢に提供できた琉球王国には、朝貢に設けられた回数制限が緩和され、一時期は無制限に朝貢が受け入れられています。

そのため、明との朝貢貿易の活性化が継続された期間の琉球王国は、莫大な利益を得ることで経済力と武力強化が可能だったことが、栄えた理由の一つです。

琉球王国が栄えた理由は、その地理的な位置にもある?

琉球王国が栄えた理由は、前述の明との朝貢貿易による莫大な利益が基盤となって、経済力と軍事力が強化されたためですが、地理的な位置にも栄えた理由があります。

琉球王国は、日本や朝鮮王朝の南、中国の東に位置し、南には東南アジアのさまざまな国にも近い位置にありました。

明王朝と君臣関係を結んで行なっていた朝貢貿易によって、明から得られた物品を東南アジア諸国など他国に売ることからも利益を得て、しかも朝貢する物品の不足を補う購入も可能とした中継貿易を行なっています。

朝貢貿易を基軸としながら、地理的な位置を活用した中継貿易を行うことで朝貢品の調達と利益確保に利用していますが、明のポルトガルなどの西欧諸国受け入れによって、徐々に貿易額が減少していきます。

琉球王国が支えた理由は、朝貢貿易と中継貿易

痩せた土地で農作物が期待出来なかった沖縄本島を中心とした琉球王国は、経済力を得るために中国の明王朝との君臣関係を構築して朝貢を可能にし、朝貢貿易によって利益を得ます。

朝貢に必要となる朝貢品の調達に東南アジア諸国、日本、朝鮮といった国々を利用した中継貿易と、明からの物品の第三国への売却益によっても経済力を強化しています。

経済力を得ることで軍事力が強化されたことで領土拡大を可能にし、約450年を超えて琉球王国が栄えた理由となっています。

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