仲井眞弘多が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認

仲井眞弘多は普天間飛行場の件についてある決断をしましたが、この決断が沖縄に影響を与えます。

どんなものかご紹介していきたいと思います。

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仲井眞弘多とはどんな人物か

仲井眞弘多は元沖縄電力の社長や会長である。

2006年に沖縄県知事選挙に自民・公明の推薦を受けて出馬し、野党の指示を受けて当選することができました。

この時、仲井眞弘多は当時の糸数氏が押していた普天間基地の問題とは違い、経済振興を争点としており、その争点が見事的中し仲井眞弘多に支持が集まったと言えます。

仲井眞弘多は沖縄県内でも保守派に基盤を置いていましたが、沖縄の問題には熱心に取り組む姿勢を見せていました。

特に在日米軍基地問題で政府にくぎを刺された時も、仲井眞弘多は辺野古基地問題に関して防衛相をけん制しているので、沖縄問題のことも考えていたと思われます。

彼の在任中は彼自体も病気に悩まされることも多く、政務に集中するのも難しい時期がありました。

また、アメリカ軍による少女暴行事件も起きるなど、沖縄県知事として納得のいく対処をする必要もあったので、彼の知事の任期中はいろんな面で大変な時期でした。

普天間飛行場の辺野古移設に関して

2010年に仲井眞弘多は日米の合意の見直しと基地移設を公約に出馬し、またもや当選しました。

しかし、彼の当選後は外国の問題が多く基地移設は困難な時期でもありました。

1つは朝鮮半島で武力衝突がありました。

また、2012年には尖閣諸島での問題も生じ、基地を県外へ移設するのは極めて困難になります。

そんな中、仲井眞弘多は2014年の沖縄県議会の本会議で普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けて埋め立てを承認しました。

しかし、この承認に沖縄県民は公約違反と猛反発し、この反発は知事の辞任を求める決議がとられるほどでした。

決議は可決になったのですが、拘束力は無く、仲井眞弘多は辞任せずそのまま知事を務めていきます。

しかし、この辺野古の埋め立て承認が沖縄県民の怒りを買ったのか、2014年の沖縄県知事選挙では、自民党の推薦などを受けながらも落選し、知事を降りることになりました。

沖縄の基地問題はまだまだ解決に時間がかかるようです。

まとめ

仲井眞弘多は2006年に沖縄県知事となり沖縄の行政に携わりながら基地問題にも熱心に行っていきました。

しかし、公約にしていた県外への基地移設はかなわず、辺野古を移設の多面埋め立てたことで公約違反という結果に捉えられてしまい、2014年に知事を終えました。

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