琉球王国にあった身分制度や位階制度について

沖縄本島を中心に領土を広げていった琉球王国は、第一尚氏王統と第二尚氏王統で王位が継承され約450年にわたり存続した王制国家です。

琉球王国の総人口と人口構成は、時代によって違いはあるものの、総じて約17万人程度で推移し、有力士族、下級士族、農民や漁民などによって構成されています。

琉球王国の身分制度の原形は、尚真王の時代に形づくられ、17世紀初頭には、大名、士、百姓の三つに分けられ、系図や家譜の編集によって士と百姓の身分がはっきりと区別されています。

士と百姓の身分の区別が、系図と家譜の有無によってなされ、琉球王国に存在した身分制度の五つの階層について紹介します。

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琉球王国に確立された身分制度

沖縄本島を中心に存在していた三山を統一した尚巴志王が琉球王国を建国し、国王と王族が最高の地位を占め、17世紀初頭には大名、士、百姓の三つに分けられています。

琉球王国の身分制度は、建国当初に明確な基準は示されておらず、尚真王の時代である15世紀後半から16世紀にかけて原形が作られ、羽地朝秀が1670年から着手した系図・家譜の編集によって、士族と百姓の区別が明確にされ確立されます。

国王と王族は、建国当初から最高の地位を占め、時代とともに国王は権威のみを有し、政治の実権は上級士族の三司官とその下位の表十五人の組織が担っています。

琉球王国の身分制度においては、士族と平民のなかで細分化される上級士族と下級士族、平民の中でも家譜の有無によって、その暮らしぶりは格差があります。

琉球王国での暮らしぶりを左右した身分制度

琉球王国での身分制度は、系図・家譜を持つ士族と系図を持たない百姓に区分され、士族には上級士族と下級士族があり、その壁は厚く重要職に下級士族が昇進することは不可能に近かったとされています。

下級士族には筑登之家と里之子家があり、上級士族の家格は殿内と呼ばれ、親方や三司官を輩出する五代門閥を形成して政治を動かしています。

家譜を持たない平民は、那覇や首里の町に住んで商工業に従事する町百姓と、地方で農業を営む田舎百姓とに分けられますが、いずれも無系と呼ばれる農民でした。

平民には、地方役人として称号を持つ有力者もいましたが、身分は農民と同じく平民とされています。

仕事にあぶれた下級士族は、無系と呼ばれた平民よりも生活に困窮した者も多かったといわれますが、貧乏に耐えて武士は食わねど高楊枝を貫く人も多くいたようです。

琉球王国に存在した五つの身分と身分制度

沖縄本島にあった北山、中山、南山が統一された琉球王国は、尚巴志が初代国王となり建国され、時代の経過とともに大名、士、百姓の三つの身分に分かれる身分制度の原形が示され、系図・家譜の編集が行われると士と百姓が明確に区分されます。

系図・家譜が作成されると、琉球王国の身分制度は、国王と王族が最高位をしめ、上級士族、下級士族、平民といった五つの身分に分けられます。

琉球王国の身分制度には、系図と家譜が重要な鍵となっていて、暮らし向きも身分によって大きく異なっています。

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