琉球に中国から渡った久米三十六姓とは?

かつての琉球には、一府を領する領主や諸侯とされる按司を取りまとめる王が複数存在し、14世紀には沖縄本島で南山と中山、北山の3つの国にまとまります。

中国の洪武帝は、三つの王統が並立した琉球の中山国の察度に「琉球国中山王」の称号を与えて君臣関係を結び、察度の納める土地を明の領土としますが、中山の察度の統治権は維持されています。

三山が統一され琉球王国となっても、明王朝から清国に変わっても君臣関係が維持され朝貢貿易も継続され、琉球からの朝貢に必要な人材の$lを明から琉球へ下賜されます。

現在の沖縄には、中国の明王朝時代に渡来して帰化した福建(ビン)出身の末裔が数万人いるともいわれ、洪武帝から下賜された久米三十六姓について紹介します。

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琉球に渡来した久米三十六姓とは?

14世紀後半に中国明国の洪武帝が琉球国に対して下賜した通訳や航海士といった職能集団を久米三十六姓といい、当初は中国と琉球を往復しますが、次第に琉球に定住します。

渡来した人々の多くが、中国の長江河口の南部(びん)の出身者だったことからビン人三十六姓とも呼ばれますが、現在の福建省の出身者も多く、定住後の地名を付け久米三十六姓とも呼ばれます。

三十六姓の三十六には、渡来した人数を連想させますが、当時の言葉では大勢という意味があり、久米三十六姓には久米に定住した中国からの大勢の職人と意味になります。

中国王朝が琉球に朝貢を行わせる際に必要となる専門職を身につけた職人集団を送り込んだ結果、久米三十六姓として次第に琉球に定住しています。

久米三十六姓の門中と末裔には?

沖縄には、始祖を同じくする父系の血縁集団をあらわす門中と呼ばれる制度があり、中国から渡来した久米三十六姓にも13の門中があります。

久米三十六姓は、明の洪武帝の命を受けて現在の中国福建省を中心した出身者で構成されたビン人の末裔で、航海士や通訳といった技能を持つ職能集団として、琉球王国の外交や貿易に関わり、政治や教育、文化に大きな影響を与えます。

琉球人にとって、久米三十六姓は琉球王国で上位階層にあたる支配層に位置し、明治政府による廃藩置県は彼らの利権が奪われ、清国への帰還も難しくなり反対運動の中心的な立場をとる集団にもなっています。

久米三十六姓の末裔といわれる有名な政治家には、元沖縄県知事の仲井真弘多、稲嶺恵一、翁長雄志といった人たちがあげられます。

中国から琉球に定住した久米三十六姓

中国の洪武帝が琉球を冊封国として従属関係を結んで、朝貢させるために必要となる専門職を有する職人集団を琉球へ送り込んでいます。

中国のビンや現在の福建省の出身者を中心とした職能集団は、航海士や通訳といった専門技能を有していたため、当初は琉球と中国を行き来しますが、次第に琉球に定住するようになり、その定住先と派遣された大勢の人数から「久米三十六姓」と呼ばれ、政治家や学者などを多く輩出し、沖縄県知事などの政治家にも末裔として知られています。

洪武帝が派遣した久米三十六姓は、琉球においては支配層にあたる立場と権利を有していたものの、明治政府による琉球処分が彼らの権利を剥奪したため、清国への帰還が困難になり反対派の中心的な存在となっています。

久米三十六姓にとって、明治政府による琉球処分はそれまでの特権意識と権利を剥奪された屈辱的なものですが、現在の多くの末裔の人々は、アイデンティティーに中国を感じながらも沖縄に帰化して同化している方が大半です。

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