国民体育大会は毎年1月のスケートとアイスホッケー競技会、2月のスキー競技会、9,10月の本大会の3つに分かれて行う日本のスポーツの大会です。
沖縄とも関係のある大会なのでご紹介していきたいと思います。
国民体育大会の内容
1987年に開催された国民体育大会の冬季大会のテーマは信濃路国体であり、夏季、秋季大会のテーマは海邦国体でした。
スローガンは「きらめく太陽、広がる友情」というもので明るいイメージの大会の感じがします。
参加条件は競技によっても異なるのですが、中学3年生以上という条件がありました。
国民大会は戦後から続くスポーツ大会ですが、沖縄は戦後アメリカの支配を受けていたので本土復帰を果たした1972年以降からの参加となっています。
本土復帰後は特別大会として沖縄で若夏国体として参加したので、2回目の沖縄で開催された体育大会となりました。
スポーツもあらゆる種類のスポーツが開催され、各競技ごとに熱い熱戦が繰り広げられました。
大会に参加することで沖縄の人たちも元気やパワーを得られたことだと思います。
大会における準備と問題点
沖縄は国体に合わせていろんな準備をする必要がありました。
まずは、交通整備ですが道路の開通があまりされていなかったので、バイパスを仮開通させ、付近の道路を開通させる工事をして道路状況の整備を行いました。
バブルの景気だったことからホテルも多くあった沖縄ですが、ホテル数が人数よりも足りない状況となり民泊という計画にせざるを得ないこともありました。
また天皇も出席する大会となったため、少し問題も生じました。
理由として、天皇に対して良いイメージを持っていなかった沖縄住民と、以前火炎瓶が投げつけられるという事件もおこったため、安全面で少し不安もありました。
しかし、昭和天皇が大会前に崩御したこともあり、昭和天皇の沖縄訪問は実現せず今上天皇と皇后が国体の沖縄訪問を果たす形となりました。
それだけが問題でもなく、1986年に高校の卒業式が大荒れになったり、国旗が燃やされたりなどの事件も発生して、国体の開催が危ぶまれることもありました。
しかし、それでも沖縄で国体は開かれたので、そのような事件を乗り越えて開催されたことは喜ばしいことだと思います。
まとめ
沖縄で2回目となる国民体育大会が開かれて、いろんな競技が開催された。
沖縄での国民体育大会を開くのに問題や事件もありましたが、乗り越えて無事に果たすことができました。