かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、1429年から1879年まで存在した独立国です。
明(清)の冊封国であり、1609年以降からは日本の属国となりました。
そのため、明(清)と日本の影響を受けた独自の文化が特徴です。
そんな琉球王国の民族衣装も明(清)と日本の影響を受けたものでした。
どのようなものかをお伝えします。
民族衣装の琉服とは?
琉球王国の民族衣装は琉服と呼ばれるものです。
見た目は着脱しやすい涼しげな和服といったところです。
実際に着物より簡単に着られるそうです。
女性は打ち掛けを上着として着るのが外出着だったそうです。
庶民は家庭菜園で糸芭蕉を育て、自分たちで糸から作ったといいます。
糸芭蕉以外には麻も材料として使われました。
柄は無地か細かい縞しか使われなかったそうです。
農業と漁業に携わる人々の琉服の袖は働きやすいように短くなっていました。
王族や上流士族たちの琉服は絹や木綿など多様な素材で作られ、王国内で手に入らない素材は輸入したそうです。
士族の礼服琉球紅型(びんがた)とは?
上流の士族や王族は礼装として、紅型と呼ばれる染色法で染められた琉服を着ました。
上流の女性は紅型の打ち掛けを上着として着るのが正装になります。
14世紀から15世紀に東南アジアや明の影響を受けて、誕生したと言われています。
いくつもの色を使う鮮やかなものと藍一色で染めるものの2種類があります。
いくつもの色を使われた紅型は南国的なハッキリとした色合いが特徴です。
下流の士族は滅多に着る機会はなく、婚礼時に花嫁を迎える士女が身につけたといいます。
庶民は着ることが許されませんでした。
紅型は琉球王国の交易品でもあり、冊封使の歓待時の御冠船踊の衣装としても着られました。
まとめ
琉球王国の民族衣装は琉服と呼ばれるものでした。
見た目は着脱しやすい涼しげな和服に似た服といったところで、実際に和服より着脱しやすいそうです。
庶民は家庭菜園で育てた糸芭蕉で糸を作り、布から作っていたといいます。
農漁業に携わっている人々は働きやすいように短い袖のものを着ていました。
王族や上流の士族たちは木綿や絹といった素材で作った琉服を着ていました。
礼装として用いられたのは紅型(びんがた)と呼ばれる染色方法の布です。
下流の士族たちは紅型を着る機会は滅多にありませんでした。
庶民は着ることを禁じられていました。
現在も琉球王国の民族衣装である琉服は舞踊などの時に沖縄県で着られています。