日本の室町時代に誕生した琉球王国が行なった貿易は?

現在の沖縄県は明治政府によって設置され、それ以前には尚巴志王が建国した琉球王国が長く続いていました。

琉球王国は、尚巴志王が沖縄本島にあった北山と南山のふたつの王国を滅亡させた1429年、日本の室町時代に誕生し、その後400年以上続いています。

沖縄本島を中心とした小さな島々で構成される琉球王国は土地が痩せていたため、農産物の生産に期待がもてず、その繁栄の基盤に貿易での莫大な利益を利用しています。

琉球王国の発展を支えた、中継貿易と明との朝貢貿易について紹介します。

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琉球王国が貿易で利益を得るために構築した明との関係

尚巴志王が、沖縄本島を中心とした琉球王国を誕生させた時期は、中国大陸では明王朝の時代にあたり、日本は室町時代にあたります。

明王朝は、当時東アジアで活動した日本人を主体とした海賊である倭寇を防止しながら、海外との自由な往来と貿易を認めない政策を取る一方で、皇帝の権威を復活させるための勘合貿易を始めますが、貿易は朝貢の形態を原則としています。

そのため、明王朝の貿易は皇帝に対して周辺諸国が貢物を献上し、皇帝が返礼品を持たせて帰国させる外交儀礼に随行した商人に経済活動を行わせる朝貢貿易がなされています。

琉球王国が明との貿易を行うためには、琉球王国が貢物を献上して、明王朝と君臣関係を構築する必要があり、尚巴志王の王としての地位を明王朝に認めさせることも意味します。

明王朝との朝貢貿易によって、琉球王国での尚巴志王の権力を明王朝の権威を利用して国内に示し、周辺諸国に対しても国家の統治者としての統治権を明確にしています。

また、琉球王国は明との朝貢貿易を可能としたことで、東南アジアからの輸出品を中継貿易とすることも可能にし、莫大な利益を上げています。

明の海賊対策を利用した琉球王国の中継貿易

琉球王国が朝貢貿易を行なったいた明王朝は、東アジアで暴れていた倭寇と呼ばれる海賊対策の必要性に迫られ、海禁政策という海上規制を行なっています。

倭寇は、室町時代の日本人を中心とした海賊集団で、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部の海賊に加え、密貿易を行う貿易商人なども意味します。

明王朝の商人たちも外国との自由な貿易ができなくなり、明王朝が君臣関係を認めた国が朝貢する際にのみ貿易が可能となりますが、国によって取引回数が制限されています。

琉球王国は痩せた土地のために農作物の生産には乏しいものの、国内で大量に飼育される琉球馬や火薬の原料となる硫黄が、モンゴルに対する備えを必要とする明王朝にとっては魅力的な朝貢品だったと考えられます。

明王朝にとって魅力的な朝貢品を有する琉球王国は、朝貢回数の制限が緩和され、日本や朝鮮、東南アジア各国から仕入れた商品を含めて明との貿易で転売する中継貿易も可能となり、莫大な利益を得ています。

中継貿易と朝貢貿易を活用した琉球王国

日本の室町時代に誕生した沖縄本島を中心とした琉球王国は、痩せた土地のために農作物が期待できず、貿易による経済力の強化と明王朝の権威を利用した統治権の確立をはかっています。

琉球王国は、日本や朝鮮、東南アジア各国から輸入した品物を転売する中継貿易、中国大陸の明王朝に対する朝貢貿易を行なっています。

特に、明王朝が必要とした馬や硫黄といった朝貢品によって、琉球王国は莫大な利益を得ていますが、その後の情勢の変化によって、その価値も変化します。

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