沖縄県は昔、間切制と島嶼町村制が使われていました。
この制度は一体何で、どういうものだったかを少しご紹介したいと思います。
間切制について
間切制度とは一般的に琉球時代に取られていた制度で日本の市町村に当たると考えていいと思います。
このことから区間に分かれた場所により、治め方も違っていたと考えられます。
また二度ほど間切の区割りに変更が加えられるなどされているので、行政に変化があったことが分かります。
この間切制度は日本が明治時代に入った後も続けられており、沖縄県と改名された後もこの制度は使用され続けました。
しかし沖縄は日本の一部となった後は旧制度を改革して、新たな制度を設置して欲しいと願いこの間切制度も廃止してほしいと思っていました。
沖縄住民にとっては、この間切制度もかなり負担になっていたことが分かります。
しかし沖縄の法整備は遅れていたこともあり、間切制度は廃止されず、長い期間残った旧制度です。
1908年に新たな制度として島嶼町村制が施行され、旧制度の間切制度は廃止になりました。
沖縄県及び島嶼町村制とは何か
日本でもこのころ町村制度はありましたが、島嶼町村制は町村制度とは別に島嶼部で施行された制度です。
沖縄県本土でも施行されました。
それ以外の地域では、伊豆諸島や小笠原諸島、長崎県対馬、長崎県三島村など一部の地域でも町村制度ではなく、島嶼町村制がなされました。
この島嶼町村制は直接政治がなされたため、他の府県の町村制に比べると自治権が狭く、官僚たちの支配が強く残った制度です
そのため沖縄県住民は自分たちの政治もうまくできずに、すべての行政を本土の官僚たちにいいようにされていきます。
そのため沖縄住民は島嶼町村制を改善する運動がおきます。
本土と同じように町村制度を施行されることを望みました。
しかしすぐには受け入れられず、沖縄の島嶼町村制は続きます。
改善を求め続け1920年に島嶼指定が解除されて本土並みの町村制度が施行されました。
まとめ
沖縄は旧制度の改革を求めていましたが間切制度は沖縄県に変わった後も続きすぐに変化されませんでした。
沖縄県及び島嶼町村制が施行された後も官僚たちの影響力が強い政治となり改革を要求して1920年にようやく本土並みの町村制度が施行されました。
沖縄県を含めた一部の地域は、なかなか新しい制度を施行されず苦しんだことが分かります。