かつて沖縄県は琉球王国といい、1429年から1879年まで存在した独立国でした。
小国ゆえに明(清)の冊封を受けながら、薩摩藩にも支配されるという苦労もありましたが、明(清)と日本の影響を受けながら、独自の文化を作り上げました。
そんな琉球王国にもっとも地理的に近いのが台湾です。
台湾の方は沖縄県の方にとても強く親近感を抱いているといいます。
現代の沖縄県と台湾も似ている部分があると言われますが、琉球王国と台湾が歴史的にもどれくらい似ているのか比べてみました。
台湾の歴史
原住民と呼ばれる先住民族と現在の中国の福建省から16世紀に大勢の人々が移住してきたといいます。
台湾語は16世紀に移住してきた福建省の人々の言葉が元になっていると言われています。
スペインやオランダ、日本の植民地になった歴史があり、1949年以降は中華民国が支配をしていますが、中国との対立を避けるため、中華民国という単語はあまり使われません。
現在でも中国が台湾の領有権を主張していて、複雑な地域となっています。
清の時代になると大陸から多くの入植者がやって来ますが、僻地の島ということで統治らしい統治はされていませんでした。
現代では台湾の先住民族が南方の国々に住む人々のルーツだということが判明しており、大昔の台湾の人々は海流に乗り、沖縄やイースター島にまで移住をしたと言われています。
歴史書で最初に登場するのは隋書で「流求(りゅうきゅう)」として登場します。
その後、小琉球となり、江戸時代の頃に台湾と呼ばれるようになりました。
現在でも台湾に小琉球という島があり人が住んでいます。
琉球王国の歴史
沖縄に人が住み始めたのは先史時代に台湾から来たとされる南方系の人々と日本からやって来た九州系の人々が暮らし始めたのが始まりだとされます。
その後、現在の鹿児島県の喜界島カルデラの噴火により、無人となります。
人が住めるようになった頃に、再び人が住み始め、狩猟採集生活を始めます。
11世紀頃に、平氏の生き残りではないかとされる人々が沖縄本島に移住したことで農耕が始まりました。
琉球の言葉はこの頃の日本語が元になっているとされ、多くの類似点が指摘されています。
現在の沖縄県では日本の本土で作られた土器が見つかっており、古くから日本との交流があったことが分かっています。
しかし、長い間、交流のない時代があったため、日本の古語の特徴を残しながら、独特の琉球語が誕生し、独自の歴史を歩むことになります。
随の書物には流求と書かれていますが、しかし、当初、流求は台湾のことのみを指していたようです。
その内、現在の沖縄と台湾をまとめて、流求と呼ぶようになり、元の時代には瑠求という表記もあったようです。
いつしか、台湾を小琉球、沖縄を大琉球と呼ぶようになりました。
これは土地の広い狭いではなく、当時、より中国化がより進んでいた沖縄を大琉球といったようです。
なお、琉球は中華王朝側での呼び名であり、琉球王国に住んでいた人々は、自分たちの土地のことを「おきなは」と呼んでいました。
中国と日本の影響を受けながら、琉球王国は独自の文化を作っていきましたが、琉球王国は1879年には日本に吸収合併される形でなくなりました。
その後、第二次世界大戦後、アメリカ領となりますが、本土復帰運動により日本に復帰を果たしました。
まとめ
かつて台湾の先住民の先祖たちは海流に乗り、沖縄や遠くはイースター島にまで移住をしたと言われ、現在の南方系の人々のルーツとされています。
16世紀には福建省から移民が来て、言語などに中国の影響を強く受けることになります。
一方、琉球王国はルーツの1つは日本から移民してきた人々だとされていて、文化や言語に日本との共通点があります。
台湾と琉球王国は地理的にも近かったので、多くの交流があったことでしょう。
現在も台湾には小琉球という島があり、人が住んでいます。