かつて沖縄県は琉球王国という独立した国で、1429年から1879年まで存在しました。
明と冊封を行い、明の従属国でありましたが、1609年に薩摩藩の島津氏に侵攻され、従属国になります。
2つの国に従属をするというのは小国ゆえに国を維持するためには仕方のないことだったとは思いますが、そんな苦労の多い琉球王国の首都とはどこだったのでしょうか。
琉球王国の首都は首里
琉球王国の首都は首里です。
現在の首里城がある周辺になります。
尚真王が統治した1477年から1527年の時代には首里城が拡張され、ほぼ現在の首里城と同じ形になります。
この頃は中央集権化を進めている時期で、各地の按司と呼ばれる権力者を首里へ移住させます。
以後、居住した地区は「首里親国」(シュイウェーグニ)と呼び、高級官吏たちが琉球処分まで暮らし、寺といった建物も多かったといいます。
琉球処分とは琉球王国を廃止し、沖縄県を設置した本土で言う所の廃藩置県です。
本土でも侍による抵抗があったように、琉球王国でも一部の士族たちによる抵抗がありました。
県庁所在地は当初、首里に置かれる予定でしたが、琉球王国の軍が駐屯していて場所がなかったため、首里の隣の那覇に置かれることとなり、のちに首里は那覇市に吸収合併される形で那覇市の一部になりました。
琉球王国の首都が首里になった経緯
1429年に建国された琉球王国は中山という勢力が北山と南山というライバル勢力を滅ぼす形で沖縄本島を統一したことにより、誕生しました。
中山は首里の高台に首里城を築いていましたが、当初の首都は浦添でした。
中山の王は1406年に尚巴志に滅ぼし、新たな王に尚巴志の父である尚思紹が就き、その後、首里へと遷都され、首里城を居城としました。
首里に遷都した理由は大きな船でも停泊出来る那覇港が近いことでした。
貿易が国の柱だった琉球王国にとって、港は重要な場所で、遷都と那覇港の整備が同時に行われたといいます。
高台の首里城からは往来する貿易船を見ることが出来たといいます。
まとめ
琉球王国の首都は首里です。
琉球王国が中山という勢力だった時代に浦添から那覇の港が近いという理由で首里に遷都されました。
その後、中央集権化の過程で、首里には按司と呼ばれる権力者が移住し、住まいがある地区は「首里親国」(シュイウェーグニ)と呼ばれるようになりました。
現在は沖縄県那覇市の一部ですが、首里市だった時代もありました。
しかし、のちに那覇市に吸収合併されました。
現在も那覇市には首里の地名が残っています。