かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、1429年から1879年まで存在した独立国です。
明(清)の冊封国であり、日本の属国でもあったので、2つの国から影響を受けた独自の文化が特徴です。
そのため、日本本土の人々には馴染みのない単語がいくつもあります。
その中の1つに按司(あじ)があります。
按司(あじ)とは何なのかを解説します。
グスク時代の按司(あじ)とは?
元々、按司(あじ)とはその土地の権力者を指す言葉で、日本本土でいうところの豪族に当たります。
「世の主」や「世主」と呼ばれ、他にも島によって呼ばれ方は様々だったようです。
グスク時代は多くの城が建てられ、按司(あじ)たちが覇権を争っていました。
琉球王国の初代王である尚巴志王も元々は按司(あじ)でした。
琉球王国の建国後も地方豪族の首長の称号に用いられました。
その後、反乱を起こした阿麻和利や護佐丸といった人も按司(あじ)です。
尚円王以降の按司(あじ)とは?
中央集権を進めていた尚円王の時代に各地の按司(あじ)たちは首里へと集められます。
首里に移った按司(あじ)たちの住まいは首里親国と呼ばれ、栄えたといいます。
その後、按司(あじ)は士族ではなく、王族の身分の1つに変化します。
按司(あじ)家は王家の分家となり、本土の宮家に相当します。
その他にも王妃、未婚の王女、王子妃といった王族の称号にも用いられました。
元々、按司(あじ)だった人々は親方という按司(あじ)より下の位へと降格していきました。
こういう家の位は一定したものではなく、功績が少なければ、按司(あじ)家は王家の分家から士族の身分へと落ちたといいます。
一方で、按司(あじ)に特別な功績があれば、王子位へと上がることが出来たといいます。
まとめ
琉球王国の尚真王以前の按司(あじ)とは豪族を意味していました。
地方の権力者といったところでしょう。
しかし、尚真王の時代になると按司(あじ)たちは首里へと移住しました。
彼らの住まいは首里親国と呼ばれるようになりました。
その後、按司(あじ)は王族の称号の1つとなり、王族の分家といった扱いになり、日本の宮家に相当するようになりました。
しかし、これといった功績がなければ、按司(あじ)ではなく士族に身分が落ちたといいます。
また、特別な功労があれば、王子位に昇格したといいます。
他にも王母、未婚の王女、王妃といった王族の称号にも用いられました。
元按司(あじ)だった人々の子孫は親方の称号を賜ることとなりました。