かつて沖縄県は琉球王国といって独立した国で、1429年から1879年まで存在しました。
日本や明の影響を受けて、独自の文化を作りました。
琉球王国が建国する1429年以前は無法の土地というわけでもなく、人は住んでおり、王様も数多くいましたが、沖縄の中で統一された国家がなく、豪族が勢力を争っていたような状態です。
では、そんな琉球王国にはいつごろ人が住むようになり、どのようなルーツを持っている人々なのかをお伝えします。
琉球王国の人々の先祖のルーツとは?
沖縄にはかなり古い時代から人が住んでいたことが分かっています。
DNA検査により、現在の沖縄県の人々と日本の本土の人たちはDNAが共通していることが分かっています。
日本本土にやって来た人々は3種類に分かれます。
1,シベリアから北海道を通って、日本本土に到達した。
2,朝鮮半島から対馬を通って、長崎に到達した。
3,南方の島々から沖縄を通って、九州に到達した。
しかし、7500年前に発生した現在の鹿児島県にある鬼界カルデラの噴火により、西日本をはじめ九州や沖縄といった広い地域で人が住めなくなり、文化が途絶えてしまいます。
一部の縄文人たちは黒潮の流れに乗り、太平洋沿岸へと辿り着いたようです。
その後、噴火も治まり、無人化した沖縄県に九州から移民が住み始めたとされます。
青森県で作られた縄文土器が沖縄県で発掘されているので、古くから交流があったことが分かっていますし、琉球犬と北海道犬のDNAも一致しています。
なお、縄文土器に関しては青森県の亀ヶ丘式土器を真似て、関東で作られたものではないかという推測もありますが、どちらにしろ、古くから本土と沖縄県は交流していたことを示しています。
ですが、その後、交流が続いたかどうかは分かりません。
12世紀頃に沖縄に九州から人々が移住します。
この移住者たちにより沖縄に稲作などがもたらされ、12世紀から15世紀初期まで続くグスク時代へと続いていきます。
琉球王国の言葉のルーツとは?
12世紀頃の日本は平安時代でした。
そのため、この時代の日本語が琉球王国のルーツとなっています。
しかし、12世紀からしばらくは日本国内での内乱により、交流が途絶え、日本語とは異なる独自の言葉となっていきますが、古語の一部は琉球語の中に残っています。
日本との交流を途絶えたもう1つの説としては、琉球に辿り着いた一団が平氏の者たちではないかということです。
平氏の滅亡と琉球王国の耕作が始まったのが同時期だったことによる1つの推察であり、詳細は分かりません。
当時、平氏は源氏との争いに負け、全国に落ち伸びていきました。
もし12世紀に琉球王国に住み始めた人々が平氏の生き残りだったらば、敵である源氏が支配する土地の人々との交流は積極的に行おうとしないはずです。
まとめ
沖縄が琉球王国という国になる遥か以前から日本との交流が盛んで、古くから九州から多くの人が移民として沖縄へ渡ったといわれ、沖縄県を通って、南方系の人々が九州へも移民をしました。
しかし、鬼界カルデラの噴火により、人が住めなくなり、無人となったのち、再び日本から沖縄へ移住が行われました。
古代に九州から度々、沖縄に移住が行われたのはどうやら、海流の関係で本土から沖縄に辿り着きやすかったという事情があったようです。
その後、12世紀に再び、九州の辺りから沖縄県へ移民し、稲作などをもたらし、グスク時代が始まります。
そして、琉球王国が建国されることになります。
一見すると、沖縄県のルーツは中国のようにも思えますが、DNAと言葉のルーツは日本本土にあり、平安時代の11世紀頃に文化交流が断たれたことがキッカケとなり分かれたのです。