沖縄放送協会テレビはアメリカの統治を受けていたときの沖縄に設立された公共放送です。
この沖縄放送局が沖縄とどう関係があるのかを紹介していきたいと思います。
目次
沖縄放送協会テレビの設立
アメリカとの戦争が終わった後、沖縄は放送局がほとんどありませんでした。
1950年までは日本放送協会がありましたが解散してしまい、情報を得ていくのに困難な時期となりました。
1961年にNHK那覇通信局開設し、16年半ぶりに沖縄を拠点として通信局ができましたが、アメリカの支配下にあったので復帰まで海外総支局の扱いでした。
しかし、その後も沖縄放送や琉球放送ができるなど、沖縄は放送局設置に前進していきます。
日本の佐藤栄作首相がテレビの設置を訴えるなど沖縄の放送局設置への助けもありました。
1967年に放送法が可決され沖縄もテレビ放送ができるようになります。
そして沖縄放送協会設立の登録を終えて、沖縄放送協会テレビが放送されていきます。
沖縄放送協会テレビはどんなものだったか
沖縄放送協会テレビは沖縄全域で受信できるようにラジオ放送とテレビ放送を行うことを目的として設立されました。
放送局の一覧ではアメリカの放送チャンネルと日本の放送チャンネルが割り当てられていました。
沖縄はアメリカの統治を受けていたので、始めはアメリカのチャンネルのみでした。
しかし、1968年には3つのチャンネルで日本のテレビ放送も見ることができるようになりました。
これには本土復帰を見越していたため割り当てられるようになったとも言われています。
そのことから日本のチャンネルが見られるようになった時点でにほんへの本土復帰は進んでいたことも分かります。
沖縄放送協会テレビはラジオ放送もありましたがラジオ放送は実施されなかったようです。
このようにして沖縄の人たちもテレビ放送を見ることができるようになり日本の情報も得やすくなり、アメリカの情報も得られる結果となりました。
1972年に本土復帰を果たした後は、日本放送協会に事業を継承して今のNHK沖縄放送局に変わりました。
まとめ
沖縄は戦後放送局を持つことがなく情報を得るのが難しかった。
しかし、沖縄放送協会テレビが出来た後はアメリカのチャンネルと日本のチャンネルを見ることができるようになり、情報を得やすくなります。
この沖縄放送協会テレビで日本のチャンネルが見られるようになったのは、本土復帰が現実的になっていたからかもしれません。