明治時代に政府はいろんな幕府の旧制度を新しくしようと、法案を作っていました。
その中で地租改正という制度もありました。
この制度がどんなもので沖縄とどう関係しているのかを、説明したいと思います。
地租改正とは
1868年に幕府は倒幕され、新たに明治政府が政務をとる明治時代が幕を開けました。
明治政府は自国を強化したいと思っていましたが、それには多くの資金が必要で何とかして集めようと思いました。
江戸時代までは石高に応じて年貢を取り立てていましたが、この方法では政治の資金を集めるのにあまり得策ではなく、なおかつ新しく一新したいということで1873年に地租改正という制度が生まれました。
この制度は村ごとに土地台帳を作成して、地主が地価の3%をお金で明治政府に支払うという制度です。
これにより明治政府は景気が良い時も悪い時も、常に一定の収入が得られるようになりお金をどう使うかが計算しやすく、政治の予算を立てやすくなります。
しかし農民や地主にとっては景気が悪いと税金を支払うのが苦で負担となります。
そのため制度を定めた一年後に一揆や暴動が起き、たくさんの人が処罰されました。
このことから明治政府になってからも不景気だったことが分かります
しかし暴動が大きくなってきたのを感じたからか明治政府も1877年に2.5%に税金を減らします。
また地租改正により土地の売り買いも増えていきました。
沖縄の地租改正はいつか
1879年に琉球が沖縄と改名されてからもしばらくは旧体制のまま政務が執り行われました。
しかし人頭税などの旧制度は庶民の負担が大きく、改善を求めるために運動が各地で起こりました。
この運動の成果化は分かりませんが、日本の本土で行われていた制度が沖縄でも行われるようになりました。
廃藩置県や徴兵制度が行われる中、地租改正は大体1899年ごろに行われました。
日本の本土で行われたのが1873年ですので、20年以上たってから行われたんだとわかります。
この新制度が沖縄にも行われてゆくことで、沖縄は日本のものということが確立しました。
これ以降沖縄はいろんな日本の状況に巻き込まれてもいきます
まとめ
地租改正は始めは国民にも受けえ入れがたいものだったと思われますが、この制度をもとにして日本の政府が資金を集め、国を強くしていくことができたのは確かなことです。
沖縄も初めは旧体制だったのが地租改正などの日本の法案を受け入れることで、日本の領土となり今にまで至ります。