かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、1429年から1879年まで存在した独立国です。
明(清)の冊封国であり、日本の属国でもあったため、両国の影響を受けた独自の文化が特徴です。
当然のことながら、武術も独自のものが生まれました。
俗に琉球武道、琉球古武術といわているものです。
一般的に素手で戦うものを空手と呼びます。
武器を持って戦うものを琉球古武術と呼びます。
どのように誕生したのかを解説します。
空手について
元々、琉球には「手(てぃー)」と呼ばれる徒手空拳の武術がありました。
それに、中国拳法の影響を受けて、誕生したのが空手です。
かつては琉球王国の人々は王に武器を取り上げられたため、自衛のために素手による戦いである琉球武術を発展させたといわれましたが、そのような事実はありません。
実際、日本刀ですらリーチが長い槍と戦うのが難しいのに、素手で武器を持った人々と戦うというのは無謀です。
刀狩りのような武器を取り上げる政策が行われたのは事実ですが、これは中央集権を進めるに辺り、民の反乱を抑えることが目的であり、武器を国からなくす政策ではありません。
他にも薩摩藩に支配された1609年以降に王国は武器の所持を禁じられたというものもありますが、鉄砲の所持を禁止した程度です。
士族たちは教養として槍や剣といった武器の稽古をしていたのです。
海上で海賊に襲われるリスクが高い上に、敵国に攻められてもすぐに援軍がくることが不可能だった時代に、空手のみを極めるというのは無理があります。
そのため、多くの達人たちは武器術にも精通していました。
琉球古武術とは?
主に武器を使って、戦う武術のことです。
使われる武器は様々なものがあり、こちらもやはり明(清)の影響を受けています。
以下にご紹介します。
「剣術」琉球王国の剣術の他に、薩摩藩の示限琉を修める者もいたそうです。
「槍術」多くの士族たちが学びました。
「長刀」日本が起源の武器です。
「ヌンティ術」独特の形状をした槍のような武器で、漁師が使うモリが起源ではないかとされています。
「山刀(やまなじ)術」短刀の一種です。
「釵(さい)術」琉球古武術で重視されていて、十手に似た武器です。
「棒術」琉球古武術で重視されている棒を使った武術です。
「杖術」4尺(約121センチ)ほどの杖を用いた武術です。
「短棒術」不意の襲撃に備えて、手近にある薪などの短い棒を使って戦う武術です。
「櫂(ウェーク)術」船のオールのようなもので戦う武術で、エーク、エイクという呼び名もあります。
「トンファー術」石臼引きの挽き棒が起源だとされる武器を使った武術です。
なお、中国の武器が変化したものという説もあります。
「鎌術」二丁鎌と呼ばれる鎌を使った武術です。
「鍬術」農具である鍬を使った武術です。
「箒術」庭先などで攻撃された際に、箒で応戦するための武術です。
「鳥刺術」鳥を捕まえる際に使う鳥刺と呼ばれる道具を咄嗟の時には武器として使います。
「打棒術」稲などの脱穀用具である「車棒(シャボウ)」が起源です。
「ヌンチャク術」隠し武器の一種。
「三節棍術」三つの棒を繋げた武器を使った武術です。
「スルジン術」鎖の先に分銅といったおもりがついた武器を使う武術です。
「石打術」正式にはマーイサースルジナといいます。
182センチほどの縄に石をつけて、相手を叩く武器を使った武術です。
「手裏剣術」手裏剣を使った武術です。
「ティンベー・ローチン術」ティンベーと呼ばれる盾とローチンと呼ばれる武器を持って戦う武術です。
武器は流派により異なり、手槍を持つ流派もあれば、剣を持つ流派もあります。
「鉄甲術」金属製の輪状の武器で使った武術です。
メリケンサックのように、手にはめて戦います。
「ジーファー術」先の尖った隠し武器を扱う武術です。
「鉄柱術」隠し武器の一種です。
「鉄椎術」鉄の細い短い棒で、柄の部分に鍔がついている武器を使った武術です。
「双戈術」先端が二股に分かれた金属製の武器を使った武術です。
まとめ
琉球王国の武術には2種類あります。
「空手」と「琉球古武術」です。
空手は素手で戦います。
琉球古武術の中に分類されることもありますが、琉球古武術といった場合、武器術だけを指すことが多いです。
琉球古武術の特徴は農機具といった生活道具も武術の中に組み込んでいることです。
しかし、農民が農作業の合間に鍬での武術を習得したわけではありません。
あくまでも武術は士族のものだったのです。
それでも、琉球王国の末期には庶民の中でも武術を習得した方もいるようです。