琉球王国の5偉人について

かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、1429年から1879年まで存在した独立国でした。

明(清)の冊封国であり、1609年からは日本の属国となります。

そのため、明(清)と日本の影響を受けた独自の文化が特徴です。

そんな琉球王国で5偉人と呼ばれる人々がいます。

どういった人たちなのかを解説します。

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『琉球王国の五偉人』の元となったのは1冊の本

『琉球の五偉人』というのは1916年に小沢書店から出版された本です。

伊波普猷と真境名安興の2人による共著です。

伊波普猷が書いた論文を元に、真境名安興が執筆したものを追加して、発売したのだそうです。

この本に取り上げられた琉球王国の政治家5人が5偉人と呼ばれています。

戦後になってからも伊波普猷や真境名安興が書いたものはいくつかの出版社から全集にまとめられ、発行されています。

琉球王国の5偉人とは?

「儀間真常」(1557年-1644年)は明からサツマイモを、薩摩藩から木綿を琉球王国に持ち帰った人です。

薩摩藩から持ち帰った木綿はその後、琉球絣の元となりました。

他にも砂糖の製造を広め、琉球王国の産業と経済に寄与しました。

現在は那覇市の世持神社に祀られています。

「羽地朝秀」(1617年-1676年)は琉球王国最初の正史「中山世鑑」を編纂しました。

摂政も務め、国の財政再建に寄与し、政教分離を進めました。

「程順則」(1663年-1735年)は琉球王国で最初の公的な教育菌である明倫堂の創設を建議しました。

他にも清から六諭衍義を持ちかえりました。

これは日本にも広まり、日本各地に寺子屋が普及するキッカケとなりました。

「蔡温」(1682年-1762年)は河川工事や山林の保護に尽力し、琉球王国の農業改革などを行いました。

それ以外にも冊封使との対応に当たるなど国を代表する政治家として活躍します。

「宜湾朝保」(1823年-1876年)は琉球王国末期の政治家であり、歌人です。

英語にも堪能で、王をよく助けましたが、琉球王国を琉球藩とするという日本の方針を伝えると、売国奴と呼ばれ、排斥されます。

以後は歌人として活躍することとなります。

和歌などにも通じ、天皇の前で歌を披露した際にはお褒めの言葉をいただくほどでした。

まとめ

琉球王国の5偉人とは琉球王国の5人の政治家のことです。

儀間真常、羽地朝秀、程順則、蔡温、宜湾朝保の5人が5偉人とされています。

元々は1916年に出版された『琉球王国の五偉人』という本で、琉球王国の5人の政治家が素晴らしいと選ばれたのがキッカケとなり、一般にも広がりました。

現在は本の存在は知らないけれど、琉球王国の5偉人とされる5人の政治家だけは知っているという人のほうが多いです。

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