日米間で普天間飛行場の返還を含む基地移転案に基本合意

沖縄が日本に返還されてからも、日本とアメリカには沖縄に関する問題は残っていました。

それが普天間飛行場に関する問題でした。

普天間飛行場の返還と基地移転案についてご紹介していきたいと思います。

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普天間飛行場の返還についての理由

普天間飛行場は沖縄返還の時に、アメリカ側の要求によって沖縄に残っているアメリカ軍基地です。

そのためその飛行場内はアメリカ人も多く、その基地内について日本側は干渉することができませんでした。

普天間飛行場ではアメリカ軍の軍事練習のため騒音や事故も多く、周辺で暮らしている沖縄住民は迷惑をしていました。

近くに小学校などがある点からも、普天間飛行場で暮らす住民はアメリカ軍の基地移転案と返普天間飛行場の返還を求めていました。

アメリカ軍の普天間飛行場が返還されれば騒音もだいぶ少なくなりますし、訓練中の事故の被害も少なくすることができるので、周辺に住む近隣住民にとっては一番の願いだと思います。

そのような考え方を抱いていましたがある事件をきっかけに、さらにその要求は高まっていきます。

普天間飛行場の返還と基地移転の進展

1995年に沖縄のアメリカ兵士が少女を暴行したとして、沖縄のアメリカ軍の基地に反対する運動は大きくなっていきました。

その運動は政治にも関わっていき、1996年の日米首脳会談に臨んだ時、アメリカに普天間飛行場の返還を交渉しました。

これは当時首相だった橋本首相の強い意向もあったためと思われますが、この交渉により普天間飛行場の返還と基地移転案に合意させることができました。

移転をどこにするかいくつか候補は上がったものの、環境破壊や十分な移転先とは言えないという点でなかなかことは思うように進みませんでした。

またアジアの情勢や、安保条約の規定などにもより普天間飛行場の返還と基地移転案の計画も思うように進まず、進展しようにもすることができませんでした。

そのため今でも普天間飛行場の返還と基地移転はされておらず、またアメリカ側ともぎくしゃくした関係になってしまいました。

事を思うように勧ませるのは政治も絡んでいる以上難しく、問題はまだまだ続くかもしれません。

まとめ

普天間飛行場やアメリカ軍基地では軍事練習が行われている影響で、周辺住民が騒音や事故に悩まされていました。

1995年に起こったアメリカ兵士の少女暴行事件で飛行場と基地移転案の運動が大きくなりましたが、現状でも進展が難しい状況となっています。

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