沖縄は1972年にアメリカから日本に返還され、本土復帰を果たしました。
1945年の戦争にアメリカに敗れて後、割と早く本土復帰がかなったといえます。
なぜこのように早く本土復帰がなされるようになったか説明したいと思います。
本土復帰の運動
沖縄の住民は始めから本土復帰にあったわけではありませんでした。
沖縄は戦争に敗れた後、アメリカの支配を受けてアメリカに抵抗することができませんでした。
1947年には沖縄民主同盟や沖縄人民党、社会党などが結成されましたが、その指針は沖縄の独立でした。
しかしその運動でもアメリカからの脱却にはいきませんでした。
1950年にアメリカは対日構和政策が発表されてアメリカによる永久支配方針が確定してから状況は変わります。
それ以降のアメリカの支配には沖縄の人権無視や言論弾圧、新たな軍事基地の建設などアメリカは沖縄で自分たちの支配をやりたい放題しました。
アメリカがこのような支配をした背景には朝鮮戦争の影響もあり、軍を強化したい思いがあったからです。
しかし沖縄の住民はそのアメリカの抑圧支配に異民族支配を感じ、民主主義のアメリカという感情はありませんでした。
そのため沖縄住民はアメリカの支配から抜け出すのに単独では難しいと考えて、日本への復帰を目指して民主主義の権利を得たいと思いました。
そこから1960年に沖縄祖国復帰協議会を結成して復帰運動が本格的に始まります。
復帰への道のり
沖縄はアメリカから抑圧から抜け出すために様々な運動やデモを行っていきます。
アメリカも対抗するために規制を設けるなどしたが、抑えることが難しくなっていきました。
沖縄は始め自分たちの権利の主張と、大幅賃上をモットーに復帰運動を行ったがアメリカからの完全なる脱却には軍事基地の撤廃だと気づき、基地撤廃の運動も勢いを増していきました。
基地の撤廃は困るアメリカ側は事態を収めるため奮闘したが、ついに1969年沖縄を1972年に返還することを認めました。
沖縄は自分たちの勝利に喜んだかもしれませんが、アメリカと日本政府の策略もあり、メリカ軍の基地だけは残ることになりました。
沖縄住民は基地が残ることに反対しますが、この問題は現在まで解決はされていない問題です。
まとめ
沖縄住民はアメリカからの抑圧から抜けたいため、日本の復帰運動を始め。
1972年に彼らは復帰を果たすが、アメリカ軍の基地は撤廃されず、この問題はまだ続いている。