琉球王国に送られた大蔵経とは?送られた経緯は?

琉球王国は明王朝との朝貢貿易のほか、日本や東南アジアの国々と中継貿易をおこなっていました。

外交交流によって、琉球王国には不足する物資をはじめ、他地域のさまざまな文化や文明、宗教も流入しています。

琉球神道という独自の宗教があった琉球王国ですが、その一方、それぞれの地区で信仰された宗教の存在も確認でき、外来宗教である仏教や神道、道教などが流入しています。

そんな中で、琉球王国に「大蔵経」がどこから送られ、どんな経緯があったのかなど、についてご紹介します。

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琉球王国に送られた外来宗教「大蔵経」とは?

琉球王国には諸外国との貿易で流入した物資の副産物として、外来宗教の「大蔵経」が朝鮮から送られていますが、「大蔵経」とは、どんなものなのでしょうか?

「大蔵経」とは、仏陀の死後に、仏陀の説いたさまざまな教えを弟子らが手分けして整理し、文章化した仏典や経典といわれています。

それらの仏典や経典と解釈がなされた論書などを集大成した叢書(そうしょ)も、「大蔵経」と呼ばれています。

「大蔵経」は「一切経」とも呼ばれ、僧の生活規律を説いた「律蔵」、説教を述べた「経蔵」、そして、それらの解釈をした「論蔵」といった三蔵から構成されます。

また、書かれた言語によって、「パーリー語三蔵」、「チベット大蔵経」、そして、「漢訳大蔵経」の3系列に大別されます。

そのうち「漢訳大蔵経」は、インドの仏教者と中国の僧が、双方の行き来によって翻訳されています。

琉球王国と朝鮮王朝は、王制国家として同時期に存在し滅亡した共通点と共に、中国との関わりが深く、「大蔵経」の流入にもつながっています。

琉球王国と朝鮮王朝との関わりは?大蔵経の影響は?

歴史の同時期に存在した琉球王国と朝鮮王朝はどちらも独立国でありながら、中国の冊封国として成立した共通点があります。

両国の交流は、琉球王国が誕生する以前の三山時代に、中山の察度王が、倭寇に捕らえられた朝鮮人を送還するために、高麗へ使者を送ったことで始まっています。

その後の交流は、倭寇の襲撃を避けるために交易船を使わず、奄美諸島から九州西岸、対馬を経由して釜山に至る経路を辿って行われています。

そんな両国の交流は、中国の明王朝や清国が多大な影響を受けながら、貿易による経済力を強くし、進貢関係が構築されます。

琉球王国には物資や物品だけでなく、高麗「大蔵経」が送られ、文化的な影響を受けています。

さらに、琉球王国は中国の貿易体制の変化で勢力が弱まると、中国から日本の影響を多大に受けています。

琉球王国の文化に影響を与えた「大蔵経」

独自の産業や鉱物資源をもたなかった沖縄で、長期間繁栄した「琉球王国」は、中国や朝鮮王朝をはじめとした外国との貿易に依存していました。

文化面では、朝鮮王朝から送られた「大蔵経」が、外来信仰の宗教として流入し、多大な影響を受けています。

中国との朝貢貿易、朝鮮王朝との進貢貿易は、時間の経過と共にその勢力は変化し、次第に日本の影響が強くなります。

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