琉球王国を統治した国王と歴代の国王について

琉球に長く続いた貝塚時代の後、農耕文化へと変化して社会が形成されると各地に按司と呼ばれる権力者が出現してグスクが築かれ、次第に勢力争いが始まります。

その後、按司の勢力争いで沖縄本島には、北山、中山、南山の三山に勢力が分かれ三山時代を迎え、1429年に中山の尚巴志が三山を統一して琉球王国を建国しています。

琉球国王という名称は、琉球王国の君主と外交称号にあたり、明や清国に朝貢したときに授けられた封号も含まれています。

琉球王国を誕生させて初代国王となった尚巴志王と歴代の国王と、それ以前に国王とされた人物たちを紹介します。

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琉球王国が建国される以前の歴代国王は?

琉球王国が建国される以前の琉球には、現在の沖縄本島に存在した北山と中山と南山のうち、明の洪武帝に冊封を受けた中山の察度が中山王となり武寧に引き継がれます。

北山と南山もそれぞれに明への朝貢を行い、北山には羽地按司の王統があり、南山には大里按司の王統があります。

三山のそれぞれが独立して、明王朝への朝貢を行い貿易を行っていたとされ、察度王統以前にも舜天王統や英祖王統の歴代君主にも王号が使用されています。

琉球王国が建国される以前の琉球の歴代国王については、明や琉球に残された史書から判断する以外にはなく、その記述には記載の違いもあり、いくつかの解釈が存在します。

琉球王国の歴代国王には?王統は?

琉球王国の歴代国王の中でも、建国した初代国王の尚巴志王、クーデターを起こして第二王統を始めた尚円王、琉球処分により最後の国王となった尚泰王が特筆すべき琉球国王としてあげられます。

三山統一から琉球王国が建国されたとすれば、尚巴志王が初代国王となりますが、武寧の後を受けた思紹を第一尚氏王統とすれば、7代尚徳王まで63年続いています。

武寧王を倒して父思紹を中山国の王位に就け、その後を受け継いで、北山と南山を統一して琉球王国を建国し、尚巴志王が初代国王となっています。

第二尚氏王統は、第一尚氏6代王の尚泰久王に仕えていた金丸がクーデターを起こして王位を継承し、尚円王となって始まり、琉球処分が行われるまでの19代409年続きます。

琉球王国が明治政府による琉球処分により滅亡を迎える時の国王が尚泰王で、国王を追われた尚泰王は、のちに侯爵となっています。

琉球王国は二つの王統で継承され、26人の歴代国王によって統治され、日本の明治政府によって琉球藩から沖縄県として設置されて消滅しています。

琉球王国の歴代国王には中国の明と清国の影響が?

琉球王国の歴代国王は中国の明や清国の冊封を受けているため、支配権を持つものの、君臣関係を持ちながら統治を進めた経緯があります。

現在の沖縄本島に三山が存在した時代に、明の洪武帝が中山の察度に冊封を与えて中山王としたことで、琉球国王の称号を初めて取得しています。

中山の尚巴志王が三山を統一して初代琉球国王となって、第一尚氏王統と第二尚氏王統のふたつの王統、26人の歴代国王に引き継がれ、明治政府の琉球処分まで約450年続いています。

独立国でありながら、冊封体制と薩摩藩の両属状態にあった琉球王国は、始まりも終焉も他国の影響を多大に受けています。

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