琉球政府について

琉球政府は戦後アメリカの統治を受けていたときに、存在した統治機構の名称です。

なぜ琉球政府が設立されたのか、またどのような権威があったかなどをご紹介していきたいと思います。

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琉球政府の設置の流れ

1945年に第二次世界大戦により、県庁が消滅した沖縄県はアメリカの命令により行政を始めていきました。

1950年委には沖縄群島政府宮古島群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府が成立し、それぞれ行政を行っていくようになった。

しかしこれらの群島日の知事たちはアメリカの意向に反する行動を多くとり、その一つに日本への復帰運動がありました。

アメリカは群島政府の知事たちの決定を破棄できる権限があったとはいえ、多くのアメリカ反対の活動があったためアメリカ政府が選んだ沖縄住民でつくった琉球政府の設置へとつながります。

琉球政府の設置による効果は

アメリカが琉球政府の設置を行ったのは、沖縄住民の反アメリカ活動を抑制する目的と琉球政府を使って政治をアメリカ側の意向が通るようにするためでした。

いわゆる傀儡政治を行おうとしました。

そのためアメリカは琉球政府を設置した後も、琉球政府の決定を破棄できるようにする権限がありました。

アメリカがこのような策をとるようになったのも沖縄を日本から遠ざけて、自分の利益が出るようにしたかったからだと思います。

1950年代はアジアも平和的ではなく戦争や独立運動が行われていましたし、ソ連に向けての牽制もあったことから沖縄の統治をアメリカ側に確立したいとかんがえたのかもしれません。

しかし、琉球政府を設置した後も沖縄の本土復帰運動は盛んに行われていき、沖縄住民たちを統治していくのも難しくなっていきました。

そのため琉球政府を設置したもののアメリカの意図した効果はあまり出ず、逆に本土復帰への運動を助長するようになってしまいました。

そして1972年に軍事基地を沖縄に残す形で、沖縄は本土復帰を果たし、本土復帰と同時に琉球政府も消滅してしまいました。

まとめ

沖縄は戦後群島を置かれることにより、政治を行う権利をアメリカから与えられたが、アメリカの意思に反する行動が多かったため、琉球政府を設置して沖縄住民を統治しようとアメリカ側は思った。

しかし琉球政府の設置により沖縄の本土復帰運動が盛んになり1972年の本土復帰の原動力となった。

もし琉球政府が設置されなければ、沖縄の本土復帰はもっと遅れていたかもしれない。

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