座喜味城は琉球の歴史の中でどんな存在なの?

沖縄本島が戦乱の世だった「三山時代」には、「北山」「中山」「南山」の三つの地域で有力豪族の按司らの覇権争いが演じられ、それぞれに城が築かれています。

三山時代から活躍し、琉球王国に統一された後には王制統治の安定にも尽力した護佐丸(ごさまる)は、中山の有力豪族のひとりで、特徴的な城を築いています。

護佐丸が築いた座喜味城は、首里城や守礼門をはじめとした琉球王国のグスク及び関連遺産群のひとつとして、世界遺産に認定されています。

琉球王朝が誕生する前から、統一後には王国の安定に貢献した座喜味城の特徴や築かれた目的などについて、ご紹介します。

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座喜味城が琉球王国に果たした目的は?

座喜味城は、琉球王国が誕生する前に護佐丸によって築城され、戦国時代が統一された後には、国王に反撥する勢力を監視する役割を果たした要塞のような城です。

築城した護佐丸は沖縄本島の戦乱の世では「中山」で活躍した名将のひとりで、琉球王朝を誕生させた尚巴志の右腕として「北山」の制圧には、心理戦を制する戦略を用いて武功をあげています。

護佐丸は「座喜味城」に加えて、「中城城」も築城していて、築城家として高く評価されています。

そんな「座喜味城」は、城の上から周囲を広く見渡せる高台にあり、海域や周辺の離島まで見えるため、軍事上の要衝とされ、今も当時の様子を伝えています。

座喜味城でみられる石造の建築技術水準と特徴は?

「座喜味城」には、正面の城壁を波打つように大きくせり出させ、攻めてきた敵を身を乗り出して見なくても攻撃できる構造となっています。

また、城の内部にも、敵を欺いて誘導し行き止まりとなる通路が設けられ、城の内外に戦いを意識した作りが施されています。

このような城壁や城内の構造は、戦国時代を統一したとはいえ、琉球王国に反抗する勢力が存在した琉球王国の事情も感じさせ、突発的な暴挙にも対応できる軍事要塞の様相を呈しています。

しかも、屏風のような曲線と厚みがある城壁には、戦を想定した構造対応のみならず、築城された場所の弱い地質に順応させた築城技術の高さもみられます。

そして、沖縄に現存する最古のアーチ門といわれる城門は、強度向上のために、門の中央部にクサビが打ち込まれています。

座喜味城には、同時期に築城された城にはない技術が使われ、護佐丸の独自の築城技術と当時の文化が盛り込まれています。

そんな座喜味城の城壁は、中城城と同じように、五、六人の大人が並んで立てるほどの幅に余裕があり、今では見晴らしの良い観光スポットにもなっています。

三山時代と琉球王国を知る座喜味城の目的と意義

世界遺産にも登録される「座喜味城」は、琉球王国を統一した尚巴志の右腕と呼ばれ、北山制圧にあたった護佐丸によって築城されています。

戦乱の世と王制統治となった琉球王国の両方の時代で、軍事要塞としての役割と目的を果たした座喜味城は、当時の石造による築城技術を今に伝えています。

護佐丸の築城技術には、同時期の城にはみられない独自の技術が用いられ、築城技術の高さと共に琉球王国の文化様式も確認できます。

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